「この料理、とっても美味しいです。」
そう言うと、彼は心底嬉しそうに、気恥ずかし気に笑った。手に入れることなく終わった恋というのは、この男にとって永遠なのだろうと私は察した。
「先生、私、ちょっと酔っちゃった。」
「タクシー代やるから、早く帰ってゆっくり休めよ。」彼は、優しい声で言った。
時刻は23時15分。私が今泉でいられる時間は残り45分だ。私は思い切って彼に寄り掛かった。
「酔っぱらってるなあ。しっかり歩け。」
「んんん、もう動けないです。」私は言った。塾の元教え子に対する正しい発言とは裏腹、彼が今泉という女に対して揺らぎそうになっていることは分かっていた。私は立ち止まり、ふらふらと彼の前に歩み出ると、彼のネクタイを引っ張って口づけた。
「先生のこと、好きでしたよ。」
彼の両手が、ついに私を抱きしめた。
私を半分引きずるようにして、彼はレストランから一番近いホテルに歩いて行った。私は、千鳥足を演じて、理性がよく働いていないふりをした。表通りからは一本外れた裏道だが、ここをのんびり歩けば、職場の人が若い女を抱えて歩く宮田ディレクターを発見するかもしれない。
入った部屋は、とても豪華だった。私たちは、まずは二人でベッドに腰かけた。
「ねえ先生、昔の先生は、生徒だった私への恋心に、やられちゃったんだ。」
「今泉はな、授業をしている俺を、射るような目で見るんだ。俺はあの時、若者の目がもつ鋭さを知ったよ。どんな色目よりも、魅力的で...世界を支配するような目だった。」彼は遠い目をしていた。
「うんうん、先生ほんとは、支配されたかったんですよね。」
ははは、と俯きがちに彼は笑った。
「でも、先生は、逃げた。逃げて、今は他の仕事をしてる。生徒に恋する自分が許せなくて、結局自分を守ったの?」
「まあ、それもあるかもしれない。」
「先生は、社会の中でまともに生きる方を選んだんだね。」
私は、彼の頭を優しく撫でた。顔を赤くして私のされるがままになっている彼は、別人のようだ。
「でも今は違う。」
そう言うと、彼はいきなり背筋を伸ばし、服の上から私の胸に触れた。
「触んないで。触っていいのは、私だけ。分かりますよね?」
彼の顔が、ぱっと見でも分かるほどに赤く染まった。分かった。彼はドМなんだ。なんて汚い人なんだ。この今泉とかいう私のために、全てを滅ぼしてしまえばいいのに。
「今から、支配してくれないか?」
彼は、懇願するような口調で言った。