「それにしても、大きくなったな。」
ははは、と私は愛想笑いをした。
「今は、何してるんだ?」
「うーん、せっかくだし、ゆっくり話したいです。今って時間あったりしませんか?」
宮田ディレクターは、高級そうな腕時計をちらっと見た。
「ああ、ぜひそうしたいんだけど、なあ。最近...」
「私、明後日から海外赴任になったんです。日本にいる間に、会えて本当によかった。」
私の口からは、すらすらと嘘が出てきた。無論、私の存在自体が嘘そのものではあるが。
「ちょっと待ってな、電話してくるから。」
彼は、おそらく奥さんに電話をかけるために私から遠ざかった。
なんて簡単なんだ、と私は一人ほくそ笑んだ。アナウンサーである私には厳しい宮田ディレクターも、この今泉とかいう女の子には弱いのだ。家庭があり、仕事をしている立派な社会人でさえも二つの顔がある。
「待たせてすまない。隠れ家みたいなとこで、美味しいイタリアン知ってるんだけれど、そこにするか?」
「わああ、素敵ですね!」
言葉通り、隠れ家のようなビルの地下にそのイタリアンレストランはあった。私は、今までコートを掛けてもらったり、椅子を引いてもらったりするレストランに入ったことがなかったので、少し面食らった。彼は席につくと、慣れた様子でコース料理とシャンパンを注文した。
「ええと。」ウェイターが行ってしまうと、彼は机の上で両手を組み、その手を見つめながら言った。職場での宮田ディレクターは、常に威圧的な目力を失わない。私はそのギャップを見てなんともいえない感覚を左胸に感じた。
「今泉は、俺が教えてたとき高三だったか?」
「ええ。」私は答えた。どうやら、彼は教師、または塾の講師などをしていたらしい。
「第一志望にも入れたし、今は何してるんだ?」
「ええと、何してると思います?」
「んん、難しいなあ。確か今泉は昔から教えることが得意だったよなあ。塾でも、いつも教え役だった。塾の講師とかか?」
「大正解です。」私は言った。宮田ディレクターと今泉の間には、おそらく二十ほどの歳の差があった。この男はかつて、高校生に恋していたのだ。
「きっと今泉ならいい先生なんだろうな。俺は、あの後全く違う会社に転職したんだ。」
「そうなんですね。また、どうして?」
「うーん、俺は若いやつが苦手だって分かったからな。」
「私は、塾の中で先生が一番好きでしたよ。」
宮田ディレクターは、無言だった。ただ、運ばれてきたシャンパンを一気に飲み干した様は、少し異様だった。
「俺も、今泉の真面目に勉強するところが好きだったよ。」
うそつき、と私は思った。どんなに隠しても、宮田ディレクターが私の鎖骨あたりをちらちら盗み見ていることや、目が微かに欲情の色を帯びていることは隠せない。ただ、それだけじゃない。この人は、私を真正面から見ることができていない。