小説

『あの日の情景』太田純平(『黄金風景』)

 ガキ大将が誰かに消しゴムを投げれば一緒になって投げたし、女子トイレにだって何度も万歳突撃した。
 それにしても、ああ。
 武田との会話で出てきた「下川」という名前。
 私はこの名前を聞くと、いつも、胸が締め付けられる思いがする。
 下川文恵。
 彼女は中学時代、最もイジメの標的にされていた女の子だった。
 彼女は物静かな文化系で、なにより、強烈なおちょぼ口が特徴であった。
 そんな彼女の外見をイジったり、小鳥がさえずるような喋り方を真似するくらいならまだマシである。
 彼女は三年間、同級生から上履きや体育館履きを隠され続け、机や教科書には落書きをされ、消しゴムはおろか、後ろから石を投げられる事さえ日常茶飯事であった。
 無論、私もそれに加担していた。
なかでも、私が犯した罪の中で最も後悔しているのは、中学二年生の春の「ルーズソックス事件」であった――。

 ×   ×   ×

 私が中学生の頃は、ルーズソックス全盛の時代であった。
 しかし何故かうちの学校には「一年生はルーズソックス禁止、履いていいのは二年生に上がってから」という、謎の生徒間のルールがあった。
 私の同級生の女子達は、中二に上がるとこぞってルーズソックスを履き始め、スカートの丈も急激に短くなった。
 だがいつの時代であろうと、そういう「制服の着崩し」をやるのは、学校のヒエラルキーの上位組である。ピラミッドの下の方にいる大人しい女子達は、本音ではきっと「羨ましい」と思いながらも、日々「我関せず」といった態度で、学校指定のソックスを履き続けていたのであった。
 ところがだ。
 ある日の朝、下川がルーズソックスを履いて登校して来た。
 中一の頃からイジメを受け、部員が二人しかいない飼育部で細々と活動している、あの、下川がだ。
 ルーズソックスを履いた彼女が下駄箱に来ると、現場は一時騒然となり、まるで芸能人の追っかけのような人だかりが出来た。ケータイ電話の黎明期だったのが、唯一の救いである。
 しかし彼女は普段通り、下駄箱で靴を履き替え、スロープを上がり、廊下を歩き、教室に入って行った。
 それを男子生徒ばかりか女子までもが取り囲み「あの下川さんが!」と口々に噂し合い、笑い合い、好奇の目で見続けた。
 ああ。今にして考えてみれば、私はなんと乙女心を傷つけた事か。私は当時、本当に悪の幹部だった。

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