小説

『放課後ファイトクラブ』平大典(『力太郎』)

 太郎は、長く伸びた襟足の毛を指でいじっていた。
 この頃の太郎の悩みは、美容院にてお任せでカットしたら、流行っているという理由でウルフカットにされた髪型だった。
 放課後の教室には、将棋部員である太郎と僕しかいない。太郎は大柄で、将棋盤を見つめる時は、いつも背を丸めている。
「残暑が厳しいよな。ガキの頃は、もっと涼しかった気が。……よっと」
 僕は、『歩』で右隅上にあった『香車』を取り除く。
「ふむ」太郎は将棋盤を睨んだまま、顎を摩る。
 太郎版ウルフカットは、おしゃれに疎い僕から見ても、全く似合っていない。イケてる若者などではなく、狩りに出かけるインディアンのようだった。
 しばらくすると、太郎は自分の頬を張った。太郎は勝負ごとの際に、自分の頬を叩く癖がある。
 外から聞こえる運動部の発声や吹奏楽部の演奏、蝉の鳴き声などの混じり合った音が人のいない教室に響く。九月になると、大半の部活では三年生が引退して、代替わりしている時期だ。
 太郎の次回対戦相手は、ボクシング部の桐生君という男だった。背は小柄だが、スピードがありタフだ。
カマキリのように動き回り、ジャブは剃刀のように鋭い。体格差のあった野球部とサッカー部の主将を、軽快なステップで翻弄しボディへの連発で潰していた。
 一方の太郎も、文化系を全滅させ、運動部の腕自慢もほぼ駆逐し、残っていたのは桐生君だけだった。倒した相手は全員、判定に持ち込む前に、その隕石のような鉄拳で沈めている。太郎を相手に一分持ちこたえた奴はいない。
「太郎ちゃんは、桐生君に勝てるのかね?」
「わからん。……アイツらは殴るのが好きなのか、殴られるのが好きなのか。どっちなんだ? 翔太氏、どう思う」
「意味不明なことを言いなさんな。僕はどっちも厭だってば」
 太郎は『金』を指先で抓む。潰れそうだ。だが、そんなことはせず、ゆっくりと『角』の前に進ませる。
 僕は早指しをして、『銀』でその駒を取り除く。
「なんと」太郎は舌を出して、顔を歪ませた。
「王手だ」
『放課後ファイトクラブ』は無敗だが、将棋は雑魚だ。
 と、ここで教室の扉が開く。入って来たのは、桐生君だった。練習の途中なのかTシャツは汗で濡れていた。
 桐生君は額の汗を拭うと、太郎の前に立つ。
「太郎君、今度はよろしく」
 太郎は仏頂面のまま硬直している。
「……俺こそよろしく」
 桐生君は太郎を見つめたまま話を進めた。「僕はね、今度の闘いで太郎君に勝ちたいんだ。君に勝てば、ボクシング部のいい広告になる」

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