小説

『冬のウェルテルは片目を閉じて口ずさむ』柘榴木昴(『若きウェルテルの悩み』)

 だが聡明でいつも落ち着き払っていた彼が、誰かに追い込まれるなんてことは考えられない。
 事実ミノル先生はいつも――正確には転勤してから一層老け込んだ父親を気遣いながらも、研究に励んでいた。生活の苦労を微塵も出さないタフさもあって、若くして教頭の地位になっていた。もともと大学の助教授だったのがあるきっかけで姉妹校の中学校に赴任したのだ。
 そのきっかけが、ユウコ先生の結婚だとミノル先生は僕に話してくれていた。
 モノクロのカップが二つテーブルに置かれた。
「昨日の葬儀、こなかったんですね」
 口火を切った。僕の影も揺れていた。
 ユウコ先生は目を開いたまま止まっていた。ぼたぼたと涙が落ちた。

 彼女と僕とミノル先生は同じ大学で働いていた。僕は事務職でユウコ先生は専任だった。だが三人とも同郷で、うまがあった。特に僕とミノル先生はゲーテをはじめとするドイツ文学が好きだという共通点もあって、意気投合した。互いに名前でよぶ唯一の間柄だった。
 あるとき、ミノル先生は僕に言った。年度替わりで忙しく、事務長の僕が一人残っていた時だ。頃合いを見計らったように研究室から出てきたミノル先生は、コーヒーを入れてくれて、窓辺に立つと少し震えた声で言った。
 仮定の話だが、とわざわざ前置きをしたあたり、ピンときた。これは自身の話をたとえの体にしているなと。
「人生でもうこれ以上ない幸福を感じたら、どうするかね」
 僕はもう一度、いや何度でもその幸福を得られるように努力すると答えと思う。だがドイツ哲学並びに実存主義に詳しいミノル先生はきっと、一回性の価値を信望していたはずだった。これ以上ない幸福というやつは、自分でそこに据え置くしかないのだ。他の価値を奈辺に叩きつけることで最高の価値を同定させるしかない。幸福の形はどうしたって形成の方法論になる。
 僕はその前日、ミノル先生とユウコ先生と学会で鳥取に行き、二人で地蔵滝の泉まで足を延ばしたことを聞いていた。ミノル先生は今、人生で最も幸福な瞬間を決め打ちしようとしているのだ。
 ミノル先生は実際ロマンチストだった。それでいて女性には大層もてていた。ルックスも将来性も申し分ないうえに、薄暗さはクールで大人っぽいと評されるほどだった。
 泉のほとりで二人が何を交わしたか、そこまでは聞いていなかった。ただ、その日ユウコ先生の口から婚約者の話は一切出なかった。夢のような時間だったとも言っていた。
 想像の彼岸で二人は結ばれたのではといぶかったが、大人の恋に口出しは野暮だとも思った。だがその後、二人の距離はどこかよそよそしく、薄い膜のようなものがあった。
 例えばユウコ先生はミノル先生にコーヒーをいれなくなった。ミノル先生も駅まで送ったりしなくなった。ぽつりと誰かがユウコ先生の婚約者が海外赴任から戻るという話をしていたのもその頃だった。

 

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