小説

『冬のウェルテルは片目を閉じて口ずさむ』柘榴木昴(『若きウェルテルの悩み』)

2018.12.26

 ミノル先生の自殺は突然のように言われていた。だが僕は違和感があり、その違和は確証に変わりつつある。雪の降る葬儀の最中、一人だけある人物を見かけなかったからだ。
 翌日、僕は冬休み中のユウコ先生に連絡した。
 ユウコ先生は結婚したあと、子供を産んで離婚した。今は別の男性と付き合っているらしかった。だから家に直接伺うのは少し気が引けたが、真相究明にはかえられなかった。
 何度か連絡をやり取りして、結局街へ出てカフェで話をすることになった。街は別世界のように年越しムードだった。まるでクリスマスなんて昨日までの夢だと言わんばかりだったし、実際ある程度はそうなんだろう。ミノル先生の自殺もまだ夢のようだった。
 地下鉄から出て特売に騒ぐデパートの脇を急ぐ。白い息がそこかしこであがった。交差点の信号が点滅すると、誰もが足早に僕を追い越した。寒いのにミニスカートの女性がチラシ配りを無視した。白人のカップルがライオンの像の前で自撮りしていた。親子連れが、手をつないだ恋人たちが、うつむく青年が、みんな足早に時間を蹴って歩いていた。
 カフェは地下へ潜るように作られていた。モノトーンを基調にした扉があり、たよりない手すりと共に地下に降りた。打ちっぱなしのコンクリに薄暗い店内。アンティークなシーリングファンが心細い明かりを灯し、シンプルな長い脚の黒テーブルにロウソクが揺らめいていた。席ごとに離れていて、観葉植物がスペースを区切り、親密な人間関係が予定調和の企みをひそやかに話し合っていた。
 薄暗い中でみるユウコ先生は、かつて誰もが恋したままの美しさから明るさを切り取ったようで、ミノル先生に申し訳ない気持ちになった。
 勧められるままに着席する。グラスの中のロウソクが気だるく揺れた。
 二人ともコーヒーを注文し、黙って店内をところどころ揺れる影を目で追った。おとぎ話に出てきそうな柱時計が止まったまま、忘れられていた。

 昨日の葬儀は異様だった。僕自身、自殺者の葬儀は初めてだったということもある。
 喪主の父親はただ書かれていることを読み上げるだけで、見ていると胸が苦しくなり、何度目かの涙を流した。
 遺書はあったが預金と投資の整理について、あとは父と一部の友人に詫びと繰り返し感謝が記されているだけだった。
 まるで天寿を見越して書かれた遺言書のようだった。そこに死の影はなかった。
 病気や、まして人間関係に困るような話も聞いていない。少なくとも、もっとも親しくしてくれた友人の筆頭に名前が挙がった僕にすら心当たりがないのだ。
 たしかに家庭環境は少し複雑だった。ミノル先生の母親は彼が学生だった頃に亡くなっていた。祖母の介護疲れで体調不良とガンが重なり死期を早めたとか聞いていた。その後も親戚と随分揉めていた。

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