小説

『冬のウェルテルは片目を閉じて口ずさむ』柘榴木昴(『若きウェルテルの悩み』)

 かつて恋をして結ばれた友人がいた。悲しい別れをする友人がいた。
 そのつど私は震えた。こうまで人を追い込むものがあるのだと。恋によって自分を見失なったことがない者に、誰かの恋を指さす資格はない。無論私は友人の恋について心から尊敬し心配した。それに私自身、何度も恋に落ち、結ばれ、夜を幾度も過ごし、涙した。
 幾度も重ねたが故なのか仇なのか、こと彼女に関しては私はただ惹かれるままに恋の潮に流された。
 それは人生でもっとも悲しい幸福の絶頂をもたらし、彼女の冷たい態度によって奈落にたたきつけられた。

 客観的に、冷静に。恋とは最もかけ離れた理知的な洞察は、結果、私が恋によってすっかり侵されてしまった亜人であると同定した。
 恋によって狂ってしまえたらと願う反面、狂ってしまったらあの人に向ける顔がないと理性が水際に堰として立つ。
 故意によって生み出される内面の嵐や竜巻といったものが、一本の枯れ木のしなやかさを鍛え上げる。この枯れ木は何もかも失ってなおそこにあり、疲労によって朽ち折れるのを待つばかりだ……。

 彼女が私にくれた感情はすべてだ。突き刺さるもの全てを彼女によって与えられた。
 その結果私はひとまわりもふたまわりも成熟し、それと同じくらい我がままで卑しくなった。その後は空想より私を支えるものは他になく、ただ夢想にふけるばかりだった。
 彼女の婚約者に恨みを持った。だがそれははっきりとした妬みだったため、不幸になれとは思わなかった。ただ、その婚約者よりも自分のほうが彼女を理解し、抱擁し、いつも忘れずに想っているだろうことは明白だった。
 そのことを彼女に実際伝えたことがあった。
 彼女は知ってるようだった。チョコレートを包みから出して、私の口の中にそっと入れてくれた。
 見つめあった。私は彼女が欲しいのではなく、彼女の守護者になりたかった。
 彼女の体温を受け取る相談者になりたかった。
 後悔しているかと言われたら、それはまさに……。
 彼女を神聖視しすぎたのだ。彼女に自分が葛藤を与えていることが辛くもあり、正直優越もあった。いつも明るく、感情が明白で笑顔を絶やさない彼女が婚約者に秘密の悩みを抱えている! それは紛れもない自分の存在によるものだ。
 彼女が私の耳に唇をあてながらありがとうと言った。私は恋する自分に見切りをつけた。すぐに反転して彼女によって生かされる自分を見つけた。私には才能があった。彼女を欲する才能だ。その才能は自己の所有欲を超えて彼女を苦しめたくないという徳のレベルで自分を律した。

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