小説

『冬のウェルテルは片目を閉じて口ずさむ』柘榴木昴(『若きウェルテルの悩み』)

 恋の終わりは必ず悲劇だ。素晴らしい小説を読み終わった後、あるいは映画でも何でもそうだがエンドクレジットの後には世界に取り残されたような気持ちになるものだ。その延長上に恋の悲劇はある。恋路とは必ず尊い道であり必ず喪失の物語なのだ。その恋が実ったとしても、恋は失われるのだ。未熟で不実な肯定感が理不尽に燃え尽きることを悲劇というのだ。
 だからとて、終わらぬままにしておくほどつらいことはない。それは死をもってしてもあまりある。

 この瞬間にも、私は彼女のことを考える。もちろん彼女は私のことを思ったりはしない。

 自分と彼女が釣り合っているかといえば、釣り合っているともいえるし、絶対に釣り合わないともいえる。
 彼女は可愛らしく、優しく、いつも笑い、時に孤独を持つ。周りを明るくさせる天性の気丈さは私には到底身につくものではないものの、彼女よりたくさん学び、愚かにも騙されたり身内の不幸を背負った私は、きっと彼女の役に立てる。
 その一方でこの思いを、彼女に対して誰よりも強い思いを持つのだから、彼女の婚約者よりも彼女にふさわしいと言えるだろう。
 これは、思い込みではない。
 実際に一度彼女は私の腕の中で涙を見せたし、出会った時が、場所がちがえばきっと恋仲になっていたとはっきり言ってくれた。
 このことについてはまた回想しよう。
 だが、ああ、恋が結ばれる可能性が、全くなければよかったのに!

 彼女が目の前にいないことは単に喪失感以上のものだ。強盗に殺されたってこれほどの喪失感はもたらされない。冤罪による拷問だってこれほどの無力感をうむことはない。
 絶望と契約した未来! これほど耐え難いことがあるだろうか。
運命は未来からやってくる。時間は婚約者を彼女の前に連れてきた。
 ただ、タイミングなのだ。悲劇の正体は偶然というもので、偶然という無邪気なものが引き金になるがゆえに、悲劇は加速し比重を増す。
 私は彼女と会うべくして出会えなかった。取り逃した偶然を夢想という。そして運命へ結びついた偶然をチャンスとか奇蹟とかいうのだ。

 どうだろうか。客観的に見ることができているんじゃないだろうか。彼女は私に「あなたは恋に溺れて視野が狭くなっているのよ」と言っていたが、それをそのまま頷けるくらいの冷静さは持っていたし、その夜嬉しくて眠れなくなるくらいに神経は赤くなっていた。

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