私は精神的貴族だったのだ。もし私が強引に彼女を奪ったなら、きっと彼女は婚約者のことを気にして笑顔に影をつけるだろう。それは絶対に出来なかった。
婚約者はすでに彼女の一部なのだ。その意味で、私が彼女に惹かれる要因の何万分の一は、婚約者によって作られていると思うと胃液がこみあげた。
一方で彼女が婚約者に抱かれているというおそるべき想像は、予想より私を打ちのめさなかった。もちろん人並みにいらいらと書斎を歩き回ったり胸をかきむしったりもした。だがその程度だ。それは彼女が性的な魅力よりも天使性ともいうべき傍にいることによって得られる幸福感が強かったからだろう。
彼女は婚約者と私、この二つの間で少なからず揺れている。婚約者というものがありながらも背徳に染まりつつある! 事実、婚約者は父親の紹介で在り物足りなさを感じているというのだ。
彼女と婚約者は己の人生を超える未来と幸福について本当に心から話し合ったろうか?
私は実は、彼女に手を握ってもらったり、唇に触れたりしたときよりも泉のほとりで語ったあの時間を強く心に残している。これこそ私の生きる核だった。性別が失われた人間の片割れだというのなら、失った女性の原型はあの泉のほとりにある。彼女との時間と共に。
彼女は異性から人気があった。同性からも、特に年下から慕われていた。
あるとき、彼女がパンをもらった。その菓子パンを迷うことなく半分に割ってそばにいた後輩に渡そうとしたのだ。そのパンがどうなったのか、まるで覚えていない。ただ彼女のやさしさが私の横隔膜を引っ張り脳髄を溶かしたらしく、ふらふらしたのだ。
他愛のないことでもいいのだ。最も尊いものは、まぶたの裏で描ける程度のことなのだ。
そして自分のまぶたよりも近くにいる人が、最も尊い人なのだ。
彼女との距離は、服の中より近かった。互いの思い出は交わっているだろう。
二人で過ごしたことをはっきりと覚えている。夢で見た鏡のように。
6年になる。
彼女の結婚を期に、私は希望してその土地を去った。
運命的に再び戻ってきたとき、彼女は苗字を変えてそこにいた。
そして私には冷たい一瞥をくれるのみだった。
彼女が幸せかどうか、私は知らない。おそらく安定した生活を送っていることだろう。
私はすでに、悲劇の幕のあとに立っていたのだ。
わかってしまったのだ。わかってしまった。
私は、すでに終わった物語のあとに立つ……。