小説

『時の流れ』広瀬厚氏(『浦島太郎』)

 まわりの景色はずいぶん変わってしまったものの、海と浜とは昔々と変わらずそこにあった。村のあった辺りは小さな漁港のある港町となっていた。
 浜に立ち海を眺め水平線の向こうに心をやると、これまで流れていった長い長い時の流れが、まるで一瞬であったかのよう思えた。そしてその一瞬に永遠を覚える気がした。

 中島には小さな劇団を運営するふたりの知人がいた。中島とは太郎が今の日本で名のる姓である。浦島太郎は中島一郎と仮の名を名のっていた。
 夏も終わる頃中島はそのふたりから愚痴を聞いた。
「とにかく時間が無くて大変に困ってるんだ」
「つい大きな舞台をやりたくって口から出まかせ言ってしまって…… 今さらながら後悔してるよ馬鹿だったって。せめてもっと時間が有ればいいんだけど」
「だよな。あまりに時間が無いからな。まったく本当に時間が欲しいよ時間が」
「中島君はいつも時間にゆとりがあるようで羨ましいよ。出来ることなら少しでも君の時間を分けて欲しいもんだ」
 しきりにふたりは時間が欲しいと言う。そんなに欲しいのならば分けてやりたく彼は思った。ふたりにどころか、「時間が無い時間が無い」とよく嘆いている、この忙しい世界に生きる皆に、分けてやれるものならば全部分けてやりたく思った。ずいぶん長い年月を生きてきたなか確かに感じるのだが、時代が進むにつれどんどん時間にゆとりが無くなっている。人間の寿命は伸びても実際にひとりひとりが一生に感じとる時間は短くなっているのかも知れない。

 秋の夜長太郎は玉手箱を前にじっと考えにふけった。
「この玉手箱のふたを開けぬかぎり自分は年をとらずに生き続ける。自分が本来享受すべき優に千年を超える長い時間は、きっと玉手箱のなかに封じ込められている。普通人間が一生に使う時間と言えば長くて百年ぐらいのものだ。自分ひとりを滅するには余り余る時間がこのなかに有る。ふたを開け、玉手箱のなかの時間を解放したなら、自分は消えて無くなるが、もしかして少しは人々の時間にゆとりが出来るかも知れない。自分が消滅するのみでそれは無いとしても…… 」
 知らぬ間に夜が明けた。。カーテンとカーテンの隙間から朝の日差しが部屋に入った。太郎は立ち上がりショルダーバッグに玉手箱をしまった。

 ほんの数秒数分もしや数時間。時の流れを相手にせず、太郎は無心で海を前に浜に立っていた。外の世界と内の世界はもはや同一であった。世界は彼自身であった。時間さえも彼自身であった。風が吹いて波が音を立てた。太郎はおもむろにショルダーバッグから玉手箱を取りだし両手で持った。
「妙だ」玉手箱を見つめ言った。
 玉手箱の紐をときふたを開けようとしたその時、そばで子供の声がした。ふとそちらに目をやると子供たちが浜で亀をいじめて遊んでいる。

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