小説

『時の流れ』広瀬厚氏(『浦島太郎』)

「きっとそう言ったことであろう」太郎は一人呟いた。

 亀は万年と言う。亀を助けた因縁から授かった不老不死の身。玉手箱の効力も万年でもしや切れるかも知れぬ。浦島太郎は優に千年を超え若い姿のまま生き続けておるが、万年に至るにはまだ程遠い。故にそれは分からぬ。
 太郎は優に千年を超える長い時のなか、日本のみならず世界中をくまなく旅歩いた。その途中、さまざまな事件事故があった。天変地異があった。革命があった。大小幾多の戦争があった。そのつど彼は、玉手箱による不老不死と言う特異なる能力をもって切り抜けてきた。そして今、日本に暮らす。
 昨今、この管理されきった情報化社会において、不老不死なる奇奇怪怪なる者がどのようにして生活しておるのだ? と言えば、それは蛇の道は蛇、実は太郎の他にもこの世には不老不死の者が思いの外おって、皆その道に精通しており、巧みに社会に生存しているのだ。そこらへんのところを述べ始めると、またまた非常に長く難しくなるので今回は割愛させてもらう。兎も角も、かの浦島太郎は、今この日本で暮らしておるのだ。

「それで? 」
「どうしよう? 」
「どうしようってさ、おまえ」
「……… 」
「時間がないぜ」
「うん、時間がないな」
 ふたりは小さな劇団をやっている。
「彼にはありあまる時間があるんだよな」
「はっ、彼? 」
「太郎だよ。その浦島太郎だよ」
「ああ太郎か、そうだな不老不死なんだから時間が有るって言うか無いって言うか」
「無であり有であるってか」
「まあそうだ」
「で、今の日本でどうする? 」
「うん…… 」

 澤田敬一と杉村卓のふたりが中心となって運営する劇団不可思議は、いつも小さな会場でほそぼそと活動している。ところが今回突然と大きな話が舞いこんだ。
「それで澤田さん、今回何かしらの外伝的なものを公演していただきたい訳なんでありますが、良いのありますかね」話を持ってきた主が敬一に問うた。
「あります」どうしても話をものにしたい敬一は間髪いれずに即答した。とは言うものの本当の話そんなものなどない。
「そうですかそれはそれは。それでいったいどんな? 」
 そう言われても本当はそんなものなどないのだから、敬一は答えることが出来ずまごついた。それをごまかすのにいかにも余裕があるように、にっこり笑って相手に見せた。とあるオフィスの応接室、ふたりはソファーに腰掛けテーブルを挟み対面している。相手の座る背後の壁に、どいやらしくも海ガメの甲羅が飾ってあるのが敬一の目にかかった。軽く咳払いして口をひらいた。

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