小説

『時の流れ』広瀬厚氏(『浦島太郎』)

 街からそれほど離れず人工物の影を多く目にするものの、それなりに【海】は、敬一の気持ちを穏やかにさせた。遠く、海の彼方に目をやると、時間の奴隷から解放される思いがした。と言うよりも、「この一瞬が永遠である」、そんな感覚を胸に覚えた。それと同時に、大まかではあるが今回演ずるべき内容が頭に浮かんだ。前言ったように決して奇想天外なものではないが、「これで行こう」と敬一は心に決めた。

「なるほど。時代が進んで文明が発展するほどに時間にゆとりがなくなって行くのを太郎は感じるわけだな。そしてその時代時代を象徴する出来事に話をからませると」
「ああ、まだ細かいところは考えちゃいないけどだいたいの腹案はある」
「そうか良かった。だけど時間がないからとにかく急いで仕上げてくれ」
「わかった。時間に使われないよう時間を使って仕上げるよ」
 敬一は卓にざっと案を話した後さっそく脚本に取りかかった。時間を我がものに筆は勢いよく進み一気に脚本は書きあがった。敬一の書きあげた脚本に卓もすこぶる納得を見せ、さっそく演出に取りかかった。その後稽古も順調に進み、無いと焦った時間が不思議と充分有ったかのよう、余裕をもって公演に間にあった。有難くも公演は好評を得て、多くの人々がそれぞれの貴重な時間をさいて、劇団不可思議演ずる時の流れなる題目の劇を観に、わざわざ劇場へと足を運んだ。

「悟った」
 と言葉が脳裡に点じた。次の瞬間、悟らぬ己がそこに居る。
 長い長い時の流れの中で〈不老不死である太郎にとっては長いも短いも実際計り知れないのであるが〉太郎は数数え切れぬ程にそれを繰り返してきた。そんな自分の事を、まったく救いようの無い愚者だと太郎は、これまた数え切れぬ程に思って息してきた。そう思うたびごとに玉手箱のふたに手が伸びた。が悟らぬうちにこの身を滅しては、突然姿を消した息子を思い亡くなっていった両親に対してあの世で面目無い、と伸びた手を戻した。涙が頬を流れた。流れる涙に救いを感じた。されど真実は遠ざかった。真実などこの世に無いと思えた。無くと思えどまた探した。日が昇り落ちまた昇った。かくして無常に流れ行く時の中に太郎は起居を重ね重ねた。

 平成最後の夏、どうも妙だ。太郎はそう感じた。大変に暑かった。自然災害も多々あった。そんな日々、どうも薄ぼんやりと現実みなく陽炎のように彼の時が流れていった。だいたい普段現実と感じているそれは本当に確かなものなのか? 太郎は疑った。とくに自分の存在自体が一番にあやしい。不老不死の身でもって長い時の中を生きてきた…… 本当に生きてきたのか? とは今まで何度も何度も繰り返し自問したが、この夏は格別に生命の実感が薄かった。それはまるで熱に蒸発した水のようであった。
 夏が過ぎ秋がきて茹っていた魂が冷めたのか、太郎の、どこかに彷徨していた感覚がはっきりとしていった。彼は今暮らすとある街の片隅に建つマンションの一室、玉手箱を前に考え事をして一夜を明かした。そして玉手箱をショルダーバッグにいれ部屋の玄関をでた。晴れて朝から気持ちの良い空が広がっていた。太郎は昔々自分が亀を助けた浜へと向かった。
「確かにここだ」

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