小説

『金魚姫』宍井千穂(『人魚姫』)

「もしよろしかったら、この金魚を引き取っていただけないでしょうか?金魚にとっても、朱莉さんの家で可愛がってもらう方が幸せでしょうし……」
 お母さんは無言で私を受け取ると、先生に向かって深々とお辞儀をした。先生はさらに、色紙をお母さんに手渡した。
「こちらはクラスの皆で書いた色紙です。皆朱莉さんのご冥福を祈ってメッセージを書きました。どうか、お気を落とされずに……」
 先生はこれ以上湿っぽい雰囲気に耐えられなかったのか、挨拶もそこそこに帰っていった。
 家に入ると、お母さんは私を小さな金魚鉢に移した。前に飼っていた金魚を入れていた鉢だ。綺麗な青い波の模様を私は気に入っていたけれど、この体には小さすぎて息苦しい。身じろぎする私をじっと見つめると、お母さんは鉢をリビングに運んだ。ソファーにはお父さんが疲れ果てた様子で座っている。
「誰だった?」
「朱莉の先生。朱莉が可愛がってた金魚と、クラスの子が書いてくれた色紙を持ってきてくださったの」
「朱莉は、金魚好きだったからな」
 お父さんの寂しそうな顔が、ガラス一面に広がる。私はここにいるのだと伝えたくても、分厚いガラスの壁はビクともしない。
「この色紙も。皆、朱莉のことをよく書いてる」
 お母さんが、お父さんに色紙を見せる。そんな色紙、嘘ばっかりだ。愛美が何も書くことないんだけど、と笑いながら適当に書いていたのを、私は見ていた。だけど、お父さんとお母さんは色紙を読みながら涙ぐんでいる。
「朱莉は皆から好かれてたのね」
「本当だな。名前の通り、明るくてクラスの人気者だったって。……どうして、朱莉が死ななくちゃならなかったんだ、どうして」
 いつも冷静なお父さんが、大声をあげて咽び泣く。お母さんの目からも、たちまち大粒の涙が溢れだす。
「朱莉、朱莉、お母さんたちはどうやって生きていけばいいのよ」
 悲痛な叫びが、水面を揺らす。お母さんたちのこんな姿を見たかったわけじゃなかった。ただ、あの教室から逃げ出したいだけだった。それなのに……。
 愛美たちは、今も私のことをバカにし続けているんだろう。それで、飽きたら違う子をまた標的にして遊ぶんだ。私のことなんて、すぐに忘れて。
 苦しみから逃げ出したくて魚になったはずなのに、前よりもずっと苦しい。そんな私の気持ちと呼応するように、心臓が狂ったように鼓動を打つ。呼吸も乱れ、酸欠で目の前がチカチカしてくる。残った力を振り絞って叫んでみても、声にならない。代わりに大きな泡がゴボリと口から溢れ出す。どんどん上っていく泡を見つめながら、私は暗闇に沈んでいった。

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