小説

『金魚姫』宍井千穂(『人魚姫』)

「ここは、あなたの夢の中です。もう少しちゃんとしたところで会えればよかったんですけど、こんなところじゃないと、私はあなたと話せませんから」
 女の子は大きな目を伏せて、悲しそうに笑った。
「私は、あなたのクラスで飼われている金魚です。どうしてもあなたに話したいことがあって、会いに来ました。信じてもらえないかもしれませんが」
 そう言われれば確かに可愛いけれど、どこか人間離れしている。少し前に出ている大きな丸い目、鮮やかな赤い鱗の柄、苔の色によく似た暗い緑の帯。どれもがあの金魚そっくりだ。信じられないことを言われているはずなのに、夢の中だからなのか、そういうものなのかと妙に納得してしまう。
「信じるよ」
 そう言うと、金魚はぎょろついた目を嬉しそうに細めた。
「実は、あなたにお礼が言いたかったんです。私は縁日で掬われて以来、ずっとあの教室で暮らして来ました。最初は皆物珍しがって世話をしてくれたんですが、最近では誰も食べるものをくれなくなって……。もうダメだと思いました。そんな時、あなたがえさをくれたんです。それも、何度も。私はもう永くはありませんが、あなたに感謝の気持ちを伝えるまでは死ねないと、今日まで頑張って来ました」
 一息に喋り切ると、金魚は私に向かって深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
 他人に必要とされたのは、いつぶりだろうか。胸がじんわりと温かくなる。金魚はなおも頭を下げ続けている。
「もういいよ、大したことしたわけじゃないし。わざわざお礼を言いに来てくれただけで嬉しいよ」
 金魚は頭を上げると、泣きそうな顔になりながら首を振った。
「いいえ、それでは私の気がすみません。ぜひ、お礼をさせてください」
 金魚は袖の下から、小さなガラスの瓶を取り出した。表面には美しい細工が施されており、中には青く透き通った液体が半分ほど入っている。
「これは、人魚姫の薬です」
「人魚姫?」
「おとぎ話で聞いたことはありませんか?人魚姫が、人魚から人間になる時に飲んだ薬です」
 金魚が小瓶を軽く振ると、ザアザアという波の音が聞こえる。暗い夜の海が、頭に浮かんだ。
「もちろん、あなたはすでに人間ですから、人魚姫と同じ効果はありません。……人間の場合は、これを飲むと魚になることができます」
 瓶の中の液体が鱗の明かりに照らされて、怪しく光った。

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