「これでも小さい頃は絵描きになりたかったんだ。だけどそれじゃ食べられなくてね。折角だし、退職を機にもう一度やってみようと思うんだ。」
義父が柔らかい笑顔を見せながら話す。
「奈良橋君は何かなりたかったものはないのかい?」
「なりたいものですか・・・。」
なりたかった職業はすぐに頭の中に浮かんだ。
「えっと、高校生の頃小説家にちょっとだけなりたかったですね。」
「小説家か。初めて聞いた。」
義父は意外そうな顔をしている。それはそうだ。今まで誰にも話したことがないし、聞かれた事もなかった。
「何か書いたことはあるの?」
「いえ、ただの夢ですから。」
すぐに手を横に振り否定した。しかし本当は何篇か書いたことはあった。長編ではないが、短編物をいくつか。でもそれはどこにも出していない。所詮高校生の書いた物だし、将来それで生活していくなんて想像が出来なかったからだ。すぐにその夢は捨てた。
「そうか。でも機会があったら書いてみたらいいんじゃないか。」
「そうですね。」
遠慮がちに答えた。
その後も少し雑談し、義父が先に店を出た。天井を眺めながら一息つく。これでなんとか無職ならなくても済むかもしれない。そう思うと一先ずは安心した。冷めたコーヒーを一口飲む。そして自分も店を出ようと思った時に喫茶店に新しい客が入ってきた。見覚えのある顔だった。向こうもこちらを見た。目が合いどちらも立ち止まる。
「よお、久しぶりだなー。」
間違いなく小早川だった。こちらに笑顔で手を上げて近づいてくる。
「何年ぶりだ?元気?」
笑顔で話しかけてくる小早川はダウンジャケットにジーパンとカジュアルな恰好をしていて、爽やかな顔つきをしている。
「ああ、3年ぶりか?久しぶりだな。」
「何してんの?誰かと待ち合わせ?」
「ああ、打ち合わせみたいなやつ。今終わったところ。小早川は?」
「こっちもこれから打ち合わせ。」
「そうか、大変だな。あ、動画見たよ。息子が凄いって騒いでたぞ。」
「本当?嬉しいなあ。動画見てくれてるんだ、ありがとう。」
小早川の受け答えにはどこか自信に満ち溢れていた。
「打ち合わせって、新しい動画でも作るのか?」
「まぁね。新しいの作り続けるの結構大変でさ。あ、あと俺本出したんだ。今手持ちがないからあげられないんだけど、暇だったら見てみてよ。」