小説

『みにくいこわれたじゅんぜんたるあくいの子』柘榴木昴(『みにくいアヒルの子』)

 翌朝、新聞配達のおじさんが玄関を覗き込んでいた。ひょっとしたら毎朝老婆があいさつに出ていたのかもしれない。
 私はなぜ彼女がこの村で長生きできたのか、いろいろ考えてみた。回答の一つは老婆の血が毒であるという結論だった。
 殺人が日常化している以上、長命の理由は老婆が殺人術に長けているからだ。だがどうしても物理的には子ども並みに貧弱だろう。だとすれば、彼女には必殺の策があるはずだった。それが血液感染だ。この村には一日一殺というルールがあった。ならば、殺人は白兵戦で、というルールがあってもおかしくない。接近戦ならしめ技より斬撃刺突が有効だろう。血が武器になるなら最大の防御にもなる。たまたま私は絞殺したから血を浴びずに済んだが、もしこの推論が正しければ最大の防御である老婆の血は、最大の武器にもなる。
 木刀を構えながら配達のおじさんが家に上がってきた。地形的に他人の家は不利な筈だが、足運びに迷いがなかった。老婆が死んでいたら戦闘にはならないと踏んでいるかもしれない。殺した者は明朝まで誰も殺さないからだ。
 私は血を塗った老婆を階段から投げ落とした。おじさんは木刀でなんとがしのいだが、かなりの焦りがあった。そして私は確信した。
 おじさんがナイフを構えたのだ。新聞の束にかくしていたのだろう。初めから手にしていないのは、やはり老婆に刃物をむけるのはまずいということだ。
 私はビニール袋に入れた老婆の血をくるくると振り回しながらおじさんの前に立った。
「まて、お前さん婆をやったのか。この村では」
「殺したのは昨日です。だからあなたを殺すことはできます」
 次の瞬間、おじさんは自分の首にナイフを突き立てていた。自殺だ。
「ふはは、お前も新しいソロモンだ」
 それだけ言って息絶えた。
 ソロモン。一番聞きたい単語。死体を作り出す単語。私はとっぷりと、その響きにひたってしまう。田舎の朝は血と死で呪われていた。
 おじさんの死体をまたいでおしっこをした。犯されて痛めつけられていた時、私は死人より死んでいた。叔父が死んで、母を殺して私は生きている。少年と老婆を屠って私は生きようとしている。残酷な存在規定に思えるが、死にたいと思えなくなるほどの苦痛と屈辱より素直に死ねるこの人の方が満たされているのではないだろうか。
 おしっこを終えたのにまだ身体が火照っていた。一日に一人しか殺していけない理由が分かった。でもこのおじさんは自殺だ。私が殺したわけではない。だから私はこの村のルール上はまだひとり殺せる。もとよりそんなルールを守るつもりはないけれど。
 おじさんの上に老婆の血をかけた。何も起こらなかったので口の中にも入れてみた。やはり何も起きなかった。老婆が自分の血に毒があると吹聴していただけかもしれない。わからないことをいちいち調べる性ではないのでこだわらないことにした。

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