小説

『みにくいこわれたじゅんぜんたるあくいの子』柘榴木昴(『みにくいアヒルの子』)

 私が叔父に犯されるようになったのは母が妊娠してからだが、母はそれ以前から暴力をふるう叔父を止めることはなかった。むしろ殴られる私を見ながら自分の乳首をまさぐっていた。それは私に暴力をふるい犯していたのも同じことだ。
 ハサミを抜くと血がごぽごぽと吹き出てきた。同時にさっきの廃工場で殴られて腫れた顔の痛みが蘇ってきた。倒れた母を見下ろすと、私の右の頬と目の上が重力に従って垂れた。じんじんと痛みが浮かんできて、眼下ではこぽこぽと血が流れる。やはり親子だなと感じた。
 母の首はなかなか切れなかった。思ったより筋張った感じで切りにくく、ソロモンはかなりの力があったのか、コツをつかんでいたんだと感心した。真ん中から三分の二ほど首に切れ目を入れたところであきらめた。
 母もまた、虚空を見つめていた。どこか私と似ていて、懐かしい感じがした。
 私は二人の財布から現金を持って、母を屠ったはさみで髪を切ると着替えて薄く明るくなった町へ出かけた。幸い顔が変形するほど殴られていたので知り合いにあってもわからないだろうと思った。治る頃には遠い所へ行けていると思った。
 一瞬、ソロモンを探そうかとも思ったがやめた。彼には彼のルールがあって、私は一度助けられたので借りがある。彼の領域に踏み込むのをやめることで、せめて借りを返そうと思った。
 それに母は哀れな人ではあるものの、悪人ではなかった。もちろん宿していたおなかの子供にも罪はない。私の犯した殺人は、ソロモンからすればルールを逸脱したものだろう。
 恩をあだで返したようで、彼に合わせる顔がないとも思った。
 それでも私は母や叔父よりもソロモンに親近感を感じていた。そのせいか自然と足は矢中村に向かっていた。ソロモンの被害者はクズであること以外共通点が無かったが、調べているうちに二人だけ同郷の者がいたのだ。しかもそれは人口数百人の小さな村だった。東京23区内で24件の殺人(叔父を入れたら25件)を犯したなかで、矢中村からでてきた二人というのは偶然だろうか。それも殺された時期は初期と最近で離れていた。ひょっとするとこの二人を殺す目的を隠すために、残りの20余人は選ばれたのではないかとすら思えた。
 ローカル線に乗り継ぐころには日も上がってきていた。人が少ないとかえって腫れた顔は目立ってしまう。痛みは続いているが、冷やすより目立ちたくない私はヘアピンで前髪を流し、顔を隠した。
 車窓から除く景色から徐々に人工物がなくなって黄金色の田んぼと赤く染まった山々が目立ってきた。たまに見える集落は家の数より墓の方が多いくらいだ。ショルダーバッグから矢中村に関するスクラップ記事を取り出す。とはいえ被害者の資料を除けば一枚にまとまっていた。位置情報とアクセス方法、それに水害で一度沈んだという戦後まもなくの小さな記事があるだけだ。
 さらに乗り継いで、日は高くなり景色も変わらなくなってきた。木々の疲れた緑と黄色と燃えるような紅い葉々が私を閉じ込めてくれた。一度カメラを持つ数人が一斉に立ち上がったが渓谷をまたぐ陸橋を超え、次の駅に着くと全員降りていった。だれもいない終点で降り、駅員に切符を渡すと君、どうしたのと声をかけられたが無視した。

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