小説

『みにくいこわれたじゅんぜんたるあくいの子』柘榴木昴(『みにくいアヒルの子』)

 躊躇なく少年は私にその刃物を突き出してきた。私は体を逸らしてカッターを懐から取り出し、少年の首を切った。
 跳ねるように少年が距離を置いた。私は洞窟に走った。今の斬撃で少年は死ぬと思う。ただ致命傷は与えたものの、すぐには死なないようだ。手負いの獣ほど厄介なものはない。
 ほかっておいても死ぬなら距離をあけた方がいいだろうと判断した。だがその直後、背中に鈍い衝撃が走り私は倒れた。少年が刃物を投げたのだろう。自分の武器がカッターナイフだったので投げるという発想がなかったが、彼の武器は重みがある分威力があった。
 私は覆いかぶさる彼にカッターナイフを突き出したが手首をひねりあげられた。首を抑えている手と首の間に私の手を滑りこませて、傷口に指をねじ込む。かすれた絶叫が空気を震わせた。傷口をえぐるように押し倒しクナイを拾って反対側の首の根元に突き立てた。間もなく彼は死んだ。
 安堵して、少年の血で口を潤す。そういえば家を出てから何も口にしてなかった。少しは養分を得ておかないとこのあとが思いやられる。今は不意打ちで殺せたが、自分より体格の大きい相手に正面切っての格闘では勝てないだろう。叔父に殴られた傷がうずいた。
 とはいえ引き返すつもりもなかった。おそらくここにはソロモンのルーツがある。私の希望のわずかな糸が。
 坑道を抜けると、入った時と同じような山道だった。遠くにのどかな田園風景が広がった。一応罠に注意しながら降りていく。あぜ道はオニヤンマが飛び交い稲穂が垂れる、ノスタルジックな映画のようだった。一つ違和感があるのはところどころ死体が転がっている事だ。非日常は一転、ここでは日常らしい。民家が見えたので立ち寄ってみた。右手にカッターナイフ、左手にクナイを構えた。殺して奪う、それがここのルールだろう。
 土足であがると居間で老婆がひとり、こちらを向いて座っていた。
「よそもんか。ええじゃろ。ここは一日一殺と決まっておる。殺した者は次の夜明けまで誰にも狙われん。律を乱せばその限りではないがの」
 老婆は血まみれの手で茶をすすっていた。
 少年が殺しにかかる土地で歳をここまで重ねるあたり、相当な手練れなのだろう。
「ここの土地に住みたいのだけど」
「構わん。家は少ないが明朝襲え。ワシをやってもええがの」
 かかとわらった。
 私はすぐに老婆を殺した。なぜなら自分がよそ者だからだ。一日に一人しか殺さないなんてルール、知らないことにすればいい。干からびた老婆を殺すのは簡単だったが、もったいないので首を絞めて殺した。血だけは抜いて桶にくんで冷蔵庫にしまった。これを明日体に塗りつければ誰にも狙われずに済む。
 私は生まれて初めて足をのばしてのんびりと過ごした。夜には満点の星が見えた。ペルセウスを結んで夜の空に見惚れた。夏には蛍が見えるかもしれない。月が薄く輝いていた。

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