小説

『パラケルス・ルビドシアナ』末永政和(萩原朔太郎『虫』)

 パラケルス・ルビドシアナ。会社帰りの電車のなかで、唐突にこの言葉が降って湧いてきた。聞き覚えのない、まったくでたらめのような文字の連なりだった。しかしなぜだか頭から離れず、電車に揺られるあいだ私はずっとこの言葉を脳内で繰り返していた。
 パラケルス・ルビドシアナ。パラケルス・ルビドシアナ。忘れぬように、目を閉じて暗誦する。前後の脈絡もなく不明な言葉が思い浮かぶのはままあることで、今回もどこかで目にしたか耳にした言葉を思い出したに過ぎないと私は思っていた。スマートフォンで検索してしまえば手っ取り早いのだが、この時間帯の電車内は仕事終わりのサラリーマンや部活上がりの学生で混雑していて、スマートフォンを操作するための空間を確保できそうにない。
 何度も頭のなかで繰り返すうちに、この言葉が何か特別な意味を持ったものに思えてきた。語感がいいのかその響きは心地よく、時間があっという間に流れていく。混雑もやがて気にならなくなり、私は言葉の沼に浸っていく。
 地元の駅で電車を降りると、近くのベンチに座ってすぐさまスマートフォンで検索した。しかし一致する情報は一切表示されず、類似の単語さえ出てはこなかった。
 記憶違いだったのか、それとも電車に揺られるうちに別の単語に置き換わってしまったのか、いずれにせよ私はいつの間にか、この言葉に縛られ始めていた。最近読んだ本に似たような言葉が出てこなかったか、あれこれと記憶をめぐらせるが一向に結びつかない。電車の中吊り広告に載っていたのかもしれないと思ったが、今となってはもう遅い。蜘蛛の糸にからまった羽虫のようなもので、もがけばもがくほど謎は深まっていく。それでももがかずにはいられず、私の頭はパラケルス・ルビドシアナという謎めいた言葉で満たされていく。
 改札を通り抜け、声に出さぬように何度もつぶやきながら地上へとつながる階段を上った。定時に会社を出たから、まだ六時を過ぎたばかりだ。いつもなら喫茶店に寄って読書をしていくのだが、余計な情報を頭に入れるとこの謎めいた言葉が押し出されて、二度と戻ってこないような気がしてならない。一方で、この言葉が何かの前兆なのだとすれば、まっすぐに家路をたどるべきではないような気もする。
 結局私が駅近くの喫茶店に立ち寄ったのは、家に帰ったら帰ったで妻の相手をしなければならないからだった。それなら珈琲を飲みながら、この言葉について思索にふける方がよほどいい。
 いつもはガラガラの店内が、今日はなぜか混雑していた。煙があちこちで揺らめいている。私のような仕事帰りのサラリーマンが、家では堂々と吸えない煙草を楽しみに来るのかも知れない。肩身が狭いのは誰しも同じなのだろう。喫煙者に寛容なのが、古い喫茶店のいいところだ。
 パラケルス・ルビドシアナ。その響きから察するに、英語ではなさそうだ。どこかイタリア語らしい趣がある。彼の地にはシエナという都市があったと記憶している。
 ルビ・ド・シエナ。しかし、そもそも「ルビ」の意味が分からない。宝石のルビーのことだろうか。シエナのルビー? とりあえず赤い宝石を身につけている女性がいないか注意するようにしよう。

1 2 3 4 5 6 7 8