小説

『いつかいた鳥』森な子(『青い鳥』)

 母は短くそう言って、ちょっと笑った。思えば母の笑い顔なんてはじめてみたんじゃないだろうか。私はなんだか胸がいっぱいになって泣いてしまいそうだった。けれど絶対に泣きたくなかった。それから、菜穂ちゃんに、あんたがあんなに気にしていたのに、この人はこんなかんじですよ、と言ってやりたくなった。
「菜穂に言ってやんな。私は私たちの母親が嫌いだったし、父さんは私に無関心だったけど好き勝手やらしてくれたって」
 その言葉は、だから勝手に同情してんじゃないわよ、とも、だからもう気にしなくていいわよ、とも捉えられた。どちらだったのだろう。私は首を何度も縦に振って頷いた。
 家に帰る道すがらで、ミチルくんと出くわした。相変わらず妹さんを胸に抱いている。
「父さんが帰ってくるんだ!」
 嬉しそうなにこにこ笑顔でそう言うミチルくん。ミチルくんのお父さんは海外で仕事をしていたが、ミチルくんと、幼い妹がどうしているか、誰かから聞いたのだろう。心配だと大騒ぎして帰国することになったらしい。
「母さんもきっと寂しかったんだろうな。俺、本当はものすごく悲しかったけど、でももういいんだ。もういいって、俺自身がそう思えたから。それで、きっと全部上手くいくって、そう思うんだ」
 そっかあ、と私は本当に穏やかな気持ちで答えた。
 菜穂ちゃんに、何から話してやろう。優しくて泣き虫な菜穂ちゃん。きっとぼろぼろ泣いてしまうだろう。
 私は、なんだかとても満たされた、健やかで清潔な気持ちで、夕暮れに染まる街をそっと歩き出した。

1 2 3 4 5 6 7