小説

『いつかいた鳥』森な子(『青い鳥』)

「俺のお母さんは体が弱いんだ。だから、病院に行ったりしている間に、俺が妹の面倒を見てる」
「大変じゃない?」
「大変だけど、でも、妹は可愛いから。けれどたまに、なんだかすごく苦しくなって、大きな声で泣きたくなるんだ」
 ミチルくんはそう言って、寂しそうな目をした。私はなんだか何も言えなくなってしまって、腕のなかの小さな背中をぽんぽんと二回たたいた、
 ミチルくんのお母さんは体が弱いわけではなかった。それを知ったのはミチルくんの口からきいたのではなく、学校で噂されていたからだった。噂の内容はころころ変わるので基本耳を傾けないようにしていたが、その日ばかりはなぜか耳に入ってしまった。
「いつも派手な男と歩いているんだって。それで、赤ん坊の世話をミチル先輩に押し付けているって。体が弱いからって嘘ついて。ミチル先輩はそれを信じて、いつも母親の帰りを待っているんだって」
 私は最初その噂をまるっきり信じていなかったが、自分の母親を彷彿とさせる派手な格好をした不機嫌そうな女の人が、泣きじゃくる妹をなだめるミチルくんに怒鳴り散らしているのを目にした時、ああ、もう、どうしてだろう、と思った。
 ミチルくんはきっと信じているのではなくて、信じたいのだ、母親のことを。その気持ちはなんとなく私にもわかる。
「ソラマメがいたらなあ」
 菜穂ちゃんはある日、夢を見るようにそっと呟いた。
「ソラマメの楽しそうな鳴き声をきいていると、悲しいことも辛いことも、何でもいいやって思えたの」
「ふうん……また、違う鳥を飼おうとは思わないの?」
「うーん」
 菜穂ちゃんはそう言って黙ってしまった。「思わない」という意味の「うーん」だった。
 私の母を不憫だと言った菜穂ちゃん。母を思う菜穂ちゃんのことを可哀そうだと思う私。学校中から勝手に同情されるミチルくん。
 ぐるぐるぐるぐる、循環している。誰かが誰かを思う気持ちが、めぐりめぐってなんだかとてもこんがらがっている。
 私はなんだか突然母に会いたくなって、菜穂ちゃんに黙って面会をしに行くことにした。ガラス越しに、鬱陶しそうな顔をする母の顔を見た時、私はやっぱり来なければよかったかな、と怖気づいた。
「なに、恨み言でも言いにきたの?」
 母はガラスの破片みたいにちぐはぐで尖った口調でそう言った。私は、何か言わなくちゃ、何か、と思った。頭のなかに浮かんできたのは、一度も会ったことのない青い鳥だった。
「ソラマメのことだけど」
 母は、はあ?という顔をした。
「菜穂ちゃんが、すごく気にしているよ。お母さんから、ソラマメを奪ってしまったって」
 私の心臓はなぜかものすごくドキドキして、破れてしまいそうだった。
 母はしばらく黙っていた。じっと私の目を見ている。それからしばらくして、「ああ」と口を開いて。
「あの鳥ね。ピィピィうるさくて、私嫌いだったのよ」

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