小説

『ささくれ』室市雅則(『桃太郎』)

 震えている。
 船の揺れのせいではない。
 武者震いでもない。
 怖い。
 果たして、おれに鬼が斬れるのだろうか。
 蚊や蝿くらいなら問題がないのだが、ある程度の大きさの虫になると、もう殺せない。
 子供の頃、メスのカブト虫を手で潰した時、キュウンと鳴いて、白濁とした液体がおれの手を濡らした。
 カブト虫が鳴くことは知っていた。だが、この時の鳴き声は鼓膜に絡みついた。確実に一つの生命が消えたことが分かった。そして、指先を滴る液体はやけに粘ついていた。
 水でいくら洗っても、その粘り気は残り、鼓膜の鳴き声はいつまでもこびり付いていた。
 キュウン。
 ある程度の大きさの虫は殺せず、いわんや鬼をや。
 以後、おれは博愛主義者となった。
 その証拠に、今、おれが漕ぐ小舟には犬、猿、雉が同乗している。
 三匹とも、道端で腹を空かせていたのを見つけたので、吉備団子を与えてやった。
 すると、また餌を貰えると思っているらしく、ついて来た。
 ついて来ても良いことはないと、追い払おうとしたが、所詮は、人語は解さない畜生だ。
 あれ?
 となると、言葉が分かれば畜生ではないのか。
 鬼は? 鬼はどうなのだ。鬼と会話は成り立つのかを知らない。
しかし、少なくとも、目の前の三匹に対して、おれは刀を振り回して、追い払う勇気がないだけだ。
 だが、おれを拾い、育ててくれた両親や近所の面々は、優しい男子とおれを評している。
 実際は、ただ弱いだけかもしれない
 強く言う胆力もなく、反発することもできない。その結果、従順と映り、それと優しさを取り違えているだけだと思う。
 しかし、何故、そんなおれを両親や近所の面々は鬼退治に駆り出したのだろう。
 どうして、鉤括弧のついた「優しさ」だけが取り柄のおれなのだろう。
 村にはもっと血気盛んな若い衆がいる。腕力が取り柄の奴もいる。おれはそんな奴らに揶揄される側だ。
 …だからか?
 これは、その延長なのか。
 体良く、おれを村から放逐する為の理由として、鬼退治を命じたのだろうか。鬼ヶ島に辿り着いても、どうせ鬼に殺されるのは決まっているのは目に見えているからか…。
 あれ程、おれを大事に育ててくれた両親も、実はおれのことが鬱陶しかったのだろうか。
 だから、吉備団子なのか? 明らかに、こんなちっぽけなもので、どんな力を出せば良いのだろう。
分からない。

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