階上の女の笑い声をかき消したかった。
目を覚ますと、とびきり大きな音でセロニアス・モンクの「イントロスペクション」が繰り返し流れていた。まだ覚醒しきっていない頭に、不安定なピアノの音を叩きつけられていると、螺旋階段をフラつきながら降りているような、ひどく奇妙な感覚を覚えた。時折、細やかな雨粒のように、階上の女の笑い声がぼくの額に落ちてくる。枕元の時計を見ると、時刻は夜中の2時をまわろうとしていた。
寝付けない夜ってのは、何度出くわしても慣れないもの。
諦めてベッドから身を起こすと、台所へ行き、冷たい水で顔を洗って、口をゆすいだ。口寂しさを覚えて煙草を吸おうとしたが、ベッドのサイドテーブルに置いた煙草はすっかり切らしてしまっていた。ツイてない。
なんとなしに冷蔵庫を開けてみたが、中には薄く切った西瓜が一切れ、皿にも載せられずポツンと置かれているだけだった。
他には何もない。
何も?
買い置きの食料、飲料、調味料ひとつなかった。どちらかといえば食料を腐らせてしまうことの方が多い身としては、あまりに不自然な有様だった。ひょっとして、これはまだ夢の続きなのだろうかと、霞みがかった頭で考えた。
身体が異様に気怠かった。煙草代わりに西瓜を一口齧ると、冷たく、ほろ苦いだけの味がした。ホントはビールの方がよかったが、たっぷり買っておいた筈のバドワイザーは、さっき見た限り、台所から跡形もなく姿を消していた。
——きっと、恋人が飲んでしまったに違いない。
そう、あたりをつけた。
いや、そういうことにした。
そうせざるを、得なかった。
ぼくは半信半疑で、一口分欠けた西瓜を右手で思い切り握り潰した。手の隙間から、乳牛の乳が搾り出されるように赤い果汁が噴出し、床を汚した。ぼくの周囲をウリ科特有の濃密な匂いが立ち込める。
「ウリ科はあまり好きじゃないの」
いつだったか、ぼくの作ったゴーヤとキノコのペペロンチーノを前に、恋人が呟いた言葉がプレイバックした。
あれは悪くない味だった。ぼくが無言で2皿分のパスタを平らげて以来、うちの冷蔵庫からウリ科は姿を消した。その筈だ。だから、こいつは早いところ始末しなくちゃならない。