小説

『イントロスペクション』泉鈍(『魔術』芥川龍之介)

「信じられないな」ぼくは笑ってジンのオン・ザ・ロックの7杯目をグラス半分まで飲んだ。
 もう随分と酔っ払っていた。頭が断続的な痛みを訴え始めていた。そのせいか、恥ずかしいことに、少し好戦的になってすらいた。
「その口ぶりじゃ、自分もできるって感じだな」
 ステファンは飲んでいたパンクIPAのビール瓶のキャップを握りしめると「まあ見てなよ」と自信たっぷりに言って笑った。さっきよりも、グリーンの瞳は深みを増しているように見えた。まるで眼窩にエメラルドでもはめ込んでいるみたいだな、と思った。ステファンは血管の浮き出た、その薄く白い手を口元に寄せると、ゆっくりと、時間をかけて翻した。20秒か、それくらい。手の甲が裏返され、隠されていた手首が姿を見せると、濃緑色の太い血管が一本、ドクンと、ドミノが倒れゆくように波打っているのが見えた。そのことにぼくが驚き、声をあげる間も無く、ステファンは握りしめた手に短くフッと息を吹きかけると、一気に開いてみせた。
 中には、青緑色の、妙に表面のツルツルとした蝶が一羽、身じろぎ一つせずに佇んでいた。それは実に作り物めいた蝶だった。精巧な飴細工かなにかだと言われた方がまだ納得できた。思わず顔を近づけ、その透きとおった羽に触れようとすると、蝶はピクリと神経質そうに二本の触覚を動かし、まるで人間のような仕種でぼくの指を制してみせた。そして鷹揚に羽を動かすと、ゆっくりと上昇をし始めた。一つ羽ばたく度に、あたりに銀色の鱗粉をまき散らしながら……。
 それはこの世のものとは思えないほど美しかった。まさしく、魔術と言ってよかった。しかし、同時に奇妙な感覚をぼくに与えていた。
 まるで現実味がなかった。急に自分の身体の線があやふやになってしまったような……いや、頭の中がシェイクされてバラバラに配置されてしまったような、そんな感覚だ。ぼくは目を瞑り、気分が落ち着くのを待った。

 ところで、キャップはどこへ行ってしまったんだろう?

 そんなぼくの考えを見透かすように、ステファンが言った。
「喪ったものばかりに気を取られてちゃ、せっかく目の前にあるものを逃してしまうよ」
 ぼくは自分の腕を抓って、しっかりと痛みがあることを確認してから言った。
「どうやったんだ、これ」
 いつの間にか、ステファンは再び手の平に蝶を留めている。
「魔術師がいまの手順でやったのを見たんだ。おれはただそれを真似ただけさ」
 ステファンはジッとぼくを見つめたかと思えば、再び手を握りしめ、開いてみせた。
 蝶は跡形もなく消えていた。
 周囲の鱗粉も含め、すべて……。
「君も気になるのなら行ってみるといい。魔術師の呼び出し方は……」


 海沿いのトンネルの入り口でステファンのやった手順を真似るとそいつは現れる。ぼくは見た通りに、やってみた……半信半疑で。

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