小説

『父の宝』平大典(『ヘンデルとグレーテル』)

 馬鹿馬鹿しくなって、すぐに出て行った。

***

 山道は想像よりも険しくはなかった。親父が手入れの為に何度も登っているのか、道はきちんと踏みしめられて、整備されていた。
 鬱蒼とした林の中を歩いていると、ふと宝の話なんてのは、親父の嘘じゃないかと思えてきた。疎遠な兄弟が、宝捜しを機に仲を良くする。病床で親父が妄想した。地図くらい適当に作っておけばいい。
 振り返って、武志とその彼女を見る。
 智美は、武志の腰に手を回して、何やらおしゃべりしている。
 武志もけたけたと愉快そうに嗤っている。
 こいつらと家族になるなんてのは無理だ。この馬鹿な作業が終わったら、二度と付き合うものか。それにあの親父がそんな深いことを考えるはずはない。
 順調だったはずの俺たちの脚を止めたのは、つり橋だった。
 木々が茂っている間に、罅が入ったような小さな岩に挟まれた崖があり、その間を二メートルほどのつり橋があった。腐ったような丸太で組まれた貧相な橋で手すりもなく、体重がある人間が歩いたら、落ちてしまいそうだ。ただ、周りは岩壁が取り囲んでおり、そこしか通路が無いようであった。
「俺から行くよ」俺が先行して、橋を渡りはじめる。
 ゴム製の長靴の底は滑りそうになるし、体重を掛けると、厭な音がした。
 なんとか渡り切ると、俺は二人を手招きした。
「やだ、こわい」スコップを担いでいる武志の腕を組む智美が告げると、
「大丈夫だよ、二人で一緒に渡ろうぜ」
「いや」俺は声を上げる。「二人だと、やばいぜ。こんなぼろい橋、すぐに落ちる」
「ひとりはいや。やだやだやだ」智美は丸い顔をぶんぶんと振るう。今にも泣きそうだ。
「しかたねえ。恭平さん、大丈夫だよ」
 二人は寄り添い合い、橋に乗り始めた。軋む音が俺のときより数倍酷かったが、いきなり落ちることはない。
と、半ばまで差し掛かった時だった。
 バチ、という大きな音がした。丸太を締めている縄が千切れたのだ。
 刹那のことだった。二人の影は、すぐに丸太ごと消えてしまった。
 俺は崖まで立ち寄る。覗き込むと、暗い闇で二人の姿は見えない。
「武志! 武志、聞こえるか!」大声で呼びかける。
「助けてくれ、恭平さん」闇の中から、声がする。武志だ。
「どうした、大丈夫かよ!」

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