鬼婆は宙に目をやった。
「んー。そうだな。わがんね」
「ウケる。いいっすよ、そのキャラ」
越川の無邪気な笑顔に、鬼婆もつられて笑った。
千年ぶりくらいの笑みだった。
「『布施屋』ってなんすか? お店っすか?」
越川はカメラを回したまま立ち上がり、外に出て看板を撮影した。
「えっと、『布施』って、お母さんの名前っすか?」
「ちげえ。『布施屋』もわがらねえのか。簡単に言うと旅人が泊まる所だ。まあ、誰も泊まったことねえけどな」
「ええ! マジっすか。じゃあ、どうやって暮らしてるんすか? ガスも電気も来ていないみたいっすけど」
越川のカメラは屋内を隅々まで収めた。
「そりゃ、野菜作ったりな、猪狩ったりだな」
「やべ、マジな自給自足じゃないっすか? じゃあ、この汁の具も?」
越川は囲炉裏にぶら下がった鍋を撮影した。
「全部、俺が作った」
「すげー。だから美味いんすね」
「そ、そうか?」
照れながら、爪の伸びた指先で頭を掻く鬼婆。その胸中は、静かに満たされていた。
「それで、どうしてこの布施屋を?」
越川の質問は鬼婆の核心を突いた。
「古い話になるけどよ…」
鬼婆は、自分の半生を語った。
乳母として姫に仕えていたこと。
その姫を救うつもりが、結果として彼女を殺めてしまったこと。
そこから自分の人生が狂ってしまったこと。
果てに、退治されそうになり、命からがら逃げて来たこと。
「あの子に会いてえよ。謝りてえよ」
深く暗い皺の間に涙を溜めながらの告白だった。
「うわぁ。めっちゃドラマじゃないっすか。絶対、数字取れますよ。週明けから大繁盛っすよ。人がわんさか」
「ん? そんなわげねーだろ。おれがどれだけ待っていると思う?」
鬼婆の顔色が変わった。
涙を飛ばし、野獣のような目つきで、越川を見据えた。
しかし、越川は胆力があるのか、単に鈍感なのか、全く意に介していない。
「全国放送っすよ。腐ってもテレビっすよ。俺も絶対ディレクターに出世できますよ」
ヘラヘラする越川に、鬼婆は腹を立てた。