小説

『Steal this album』澤ノブワレ(『耳無し芳一』)

 山口県のとあるレコード店は、深刻な問題に直面していた。店長の芳平一家(よしひら かずや)は、真夜中の事務所でうなり声をあげていた。机の上からずり落ちて地面にとぐろを巻いた三本のレシートロール。芳平は、それらを交互に何度も何度も見直しては、頭を抱え込む。
――売上伝票、在庫伝票、入荷伝票、売上伝票、在庫伝票……入荷伝票……売あ……。
 しかしその行為が明らかに無駄であることは、芳平自身が一番理解していた。その無意味な事務作業は、いわば現実逃避のようなもので、それが起こっていることなど、売場を見れば日を見るより明らかなのだ。

――万引き。

 それも一枚や二枚ではない。一週間で十枚以上。一ヶ月で実に五十枚以上のCDが盗まれていた。時は一九九〇年代末期。まだまだ音楽視聴の主流がCDであった時代とはいえ、個人経営の小さな店である。アルバムディスク五十枚の損失は、決して小さなものでは無かった。私服警備員を雇ったり、アルバイトを増やすことも難しい。ましてや高額な防犯センサーや防犯カメラを導入することなど以ての外だった。哀れな店長は毎日神経を尖らせて、客一人一人の動向を監視するのだが、全く犯人の手がかりは掴めない。終いには、客の間で「店長の目つきが悪い」と悪評が立ち、客足が離れる始末だった。
 このままではいけないと、芳平はようやく防犯カメラを設置した。その出費はかなりの痛手だったが、背に腹は変えられない。
「このまま万引きでの損失が続くことを考えれば安い出費ですよ。」
 彼は自分に言い聞かせるように、馴染みの客やたった一人のアルバイト従業員に、繰り返し話して回っていた。
 だが、防犯カメラの効果は皆無であった。「防犯カメラ作動中」の貼り紙をしても、客の目に付くところにダミーカメラを置いてみても、万引きは減らなかったのである。その上、営業時間中の映像をいくらチェックしてみても、怪しい動きをする客は映っていない。それが示す答えは、芳平を絶望させた。彼は生来のお人好しであって、特に身内には甘いタイプだから、たった一人の古株アルバイトを疑うことは最後までしたくなかったのだ。だが、可能性がそれしか無くなってしまった以上、営業時間終了後、商品棚の整理をしている時間の防犯カメラをチェックしないわけにはいかない。
 ある夜中、芳平は営業時間終了後の映像を過去一週間分、くまなくチェックしていった。月曜、火曜。水曜は定休で、木曜、金曜……。だが、アルバイトの動きにも、不審な部分は無かった。せっせと棚の整理をしている彼の姿を見て、芳平は善良な若者を疑わなければならない自分の立場に、涙が出そうになった。そして、土曜、日曜の映像を無事にチェックし終わった時、芳平はまず安堵の表情を浮かべた。だがすぐに、また表情が曇る。
(それじゃあ、一体誰が……。)
 再生モードから録画モードに切り替わったモニターは、誰もいなくなった真っ暗な店内を映しだしている。芳平はただ呆然と、その静的極まりない映像を見つめていた。そして、彼はモニターの中に信じ難い光景を見たのである。

1 2 3 4 5 6 7 8