小説

『ドーナツと檸檬』もりまりこ(『檸檬』)

 そういったのが終わりの始まり。ちいさなフローリングの部屋にむわーんと檸檬の香り。芳香剤なんかいらないぐらいの檸檬の匂いが狭いワンルームとふたりを包んでいた。
 三一子はカジモトの胸のあたりから酸っぱい匂いを放ち始めると、若干口数が増える。会話の間が縮む。
「人生はいろいろな方法で人を傷つける。うまく言えないが誰だってクレージーな部分があるだろう?」
 って三一子は言った。
 え? なんで語尾が変って思ったら「そういうの。映画の主人公がね。その人ちょっとクレージーでかわいかった」
 思い出しているのか飽きたのかと思っていたら、始まった。
「そうそうこの映画のことをカジちゃんに伝えようとこの間から思ってるんだけどうまく言えそうになくてね。あんまりうまく言えなさそうでびっくりしたんだけどこういうことだと思う。ひとの営みのなかには、うまく言えない部分ってものにまみれているものだと。それが暮らしてゆくことなんだなって。ちょっと心を病んだ彼らに気づかされるってこと。だからだれがくれーじぃだなんて、
決められないってこと。そういうこと言っておきたかった」
 最後の最後で息を吐いたので、ここで終わりなんだなってわかった。わかったけれど釈然とせーへん。
「そんなん、ミーコ遺言みたいに言わんといて」
「ゆいごん? ゆいごんなんていっつも言っておいた方がいいと思うの」
 三一子の会話に乗っかって、「ま、人間いつなんどき」って話始めるとその途中で三一子の顔色が変わった。
「やめてよ。そういうのいつ死ぬかわからんとかいうの。今日を生きるんでしょ。ものごっつぅ借金抱えてても、カジちゃんらしくでしょ」
 三一子が怒ってる。彼女と喋っているといつなんどき銃口がこっちに向いてくるかわからなかった。
「わたしがゆいごんとか言うのはオッケーなの。カジちゃんは言っちゃだめなの」
 なんでって返そうと思ってたら三一子の機嫌が戻って来た。
「そうそう。さっきの映画の原題がね。SILVERLININGSPLAYBOOKっていうの。シルバーリニングって雲の縁から見える光のラインのことで、希望の兆しを意味する慣用句なんだって。希望を持ちたまえカジモトくん。で、果物屋さんに
行かない? 今日は花火の日だし」

 街の商店街のいつものアーケードへと向かった。ふたりの歩幅、ストライドはおそろしく広い。理由はあった、おおありだった。
 庇が灼けて灼けて、色褪せることにも飽きてるぐらいの果物屋<フルー●あお●ら>がある。どうやら<フルーツあおぞら>が正解らしい。
 ちいさなおばあちゃんがいつも店にいて、そのおばあちゃんがいつまで経っても同じ歳のように見えて、カジモトは気持ちがやわらぐのがわかる。
 ただその後に、たぶんこのおばあちゃんの方が生活力はあるんやと思うと、たちまちずっと宿酔いから抜けられないようなどよんとした気持ちに襲われる。
 おもむろに三一子が「今日は檸檬の山盛りぃ?」ってはしゃぐ。
「そうなんだよ。香ってごらん。鼻くっつけて」
 三一子はなぜだか、この果物屋のおばあちゃんとはすいすい会話が進む。
「いたりやの檸檬だよ。いい匂いだろう」

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