小説

『AIしてる』村田謙一郎(『かぐや姫』)

 側溝にはまだ、色あせた桜の花びらが残っていた。
 通りを歩く人にマスク姿が多いのは、ピークは過ぎたとはいえ、まだ油断ならぬ花粉症への対策だろう。花粉に縁のないことを感謝しながら宅間はしっかり腕を振って歩く。ビルの谷間に消えゆく夕陽を背に受けて伸びる影が、ペースメーカーのように先導してくれる。スウェットを着た背中に、じんわりと汗がにじんだ。
「だいぶ暖かくなったな。もうTシャツでいいかもしれん」
 並んで手を振るもうひとつの影に、宅間は声をかける。
「そんなこと言って。あなた去年も今頃カゼ引いたじゃない」
隣の影、いや、妻の保子の言葉に、忘れていた記憶が蘇った。
 一年前の春先、今と同様、日課のウォーキングを保子と行っていた宅間は、気持ちいい気候にTシャツで家を出た。しかし陽が落ちるとともに急激に気温が下がり、おまけに降り出した雨に濡れた宅間は、その夜から高熱で二日寝込むことになった。七十を超えたカラダ、過信は禁物だ。
「そうだな。健康のために歩いて、病人になっちゃ意味ないよな」
バツの悪さをごまかすように軽い調子で答え、小道へと続く角を曲がった。

と、前方、薄暗い道の脇で、淡く青い光が漏れている。
「ん?」
宅間は保子と目を合わせ、ゆっくり歩を進める。 
光のそばまで来ると、そこにはスーツケースを抱えた女が地面に座り込み、電柱にもたれて目を閉じていた。薄いベールのような青い光が女のカラダを覆っている。
 宅間は再び保子と目を合わせた。保子は不思議そうな表情を浮かべつつ、女ににじり寄り、手を伸ばした。
「おい」と心配になった宅間が声をかけたが、保子はそのまま光のベールに指先を入れた。その瞬間、青い光は消え、宵の暗がりが戻ってきた。保子は一瞬驚いて手を降ろしたが、再び女の肩に手をかけ、軽く揺らした。
「ちょっと、大丈夫?」
女の目がうっすらと開いた。そして、その視線が宅間と保子を捉えた瞬間、女はハッとした表情を浮かべて立ち上がった。
 スラリとしたモデルのような体型にグリーンのワンピースをまとい、髪は金髪のショート、よく見ると瞳は透き通るような碧眼である。
「あれ、外人……さん?」
今度は保子が同意を促すように宅間を見る。確認するまでもなく、どこから見ても女は外国人そのものだ。
「あなた、どこから来たの」
「……フランスです」
 意外なほど流量な日本語が飛び出したことに、二人は驚いた。
「フランス? じゃあ旅行で?」
「はい」

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