小説

『千年カグヤ』柘榴木昂(『かぐや姫』)

 ハドリー山自体はほぼ平坦で歩きにくさはない。頂上までフロートでいけないかとも思ったが、気圧の関係で2000mほどのところで完全に空転するようになった。あと半分は歩くしかない。変わらない景色に退屈して、ムービーを見ながらの自動歩行に切り替えた。メディアには接続しないでおいた。伊知花と目が覚めてから、なんとなく反仮想空間で過ごしたくなっていたのだ。
 いったい何時間たったのだろうか。ムービーを消すと無音だった。自動歩行の為か伊知花もねむっているようだった。初めて反仮想世界で雲の上に来た。
 遠く下の方から音がした。雷のような音だった。振り返って下を見た。思わず声をあげる。マイクをつなぐ。
「伊知花、止まるんだ」
「え? そっか登山中だっけ。どうしたの」
「足跡だ……僕たちのとは別の」
 しゃがんで検分する。足跡は大きく、直径で30センチほどある。靴も大きいのだ。小さく空いた穴がいくつかあった。トレッキングポールだろうか。だとするとパワードスーツ無しで登山していることになる。本当に人間なんだろうか。
 とっくに雲は抜けていた。高度を確認すると4000mだった。いくら相手が化け物でも、知性があるならこの高度でパワードスーツ相手に格闘はしないだろう。チタン樹脂のスーツはマシンガンにも耐えうる。
「伊知花、念のために、何かあったらノズルフラッシュを1秒間に三回明滅させる。それが見えたら必ず逃げろ」
 真剣なまなざしで、彼女が頷いた。そのきれいな髪と唇に触れたくて仕方がなかった。
 気持ちを切り替えて進む。頂上は間もなくだ。

 登頂した、というよりは到達したという感じだった。俯瞰画像ではなかったはずの頂上には、4Dスキャニングを巨大にしたような、柱が四本と硬化グラスウォールのピットだった。伊知花が空中でウィンドウを開こうと指を弾くも何も起きない。
「画像データで検索しようとしたんだけど……アクセスできないの。アガスティアにも、オルテーススにも」
 柱に触ってみる。固いような、柔らかいような質感だ。もっともパワードスーツ越しだからはっきりしない。回り込んで、調べてみようとする。
「いったい、これは……あぁッ!」
 あたりを、空を見まわしたときだった。
 メディアだと思った。いや、そう思いたかった。次に浮かんだのは隕石だ。だがそれは止まっていた。巨大な灰色の……星?
 ぽっかりと暗い世界に浮かぶ球体。 
 太陽系は太陽に近い順から『水星・金星・月球・火星・木星・土星・海王星・冥王星』のはずだ。灰色の天体の奥に赤い星が見えた。あれは火星か? 火星と僕たちの住む月球の間に惑星なんてないはずだ。
「なに……あれ……」伊知花も戸惑う。
 よろけて座り込んだ。同時に目の前の床が光る。
「これは……生体反応しているのか?」
「真比輝、あれ!」

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