小説

『千年カグヤ』柘榴木昂(『かぐや姫』)

 それは、ラストパス以前の脅威に対してはオルテーススは対処しないかもってことだ。
 言われてみれば、旧式エネルギーコアに対する煩雑なレポートといい、とってつけたような旧式タブレットの上書き。新しい情報をただ加えているだけのような構築の仕方だ。
 だが、オルテーススのメモリーバックアップであるアガスティアには旧世代のレコードがすべて入力されている。アガスティア自体はメモリだが、オルテーススはアガスティアのメモリを活用する自活性プログラムが組まれている。なのにどうして危険な旧式エネルギーコアの圧縮ウラン素体に対してアラートが鳴らないのか。それとも旧式の機構に対しては認識するが判断しないというアクションが選択されるのだろうか。
 ポーン、とイエローサインのポップアップが展開された。『バイタルに乱れがあります。ログアウトしてメディカルセッションにつないでください』
 僕はそれを乱暴に振り払うと伊知花に振り返った。心拍数が上がったのはもっと不可解なことに気付いたからだ。
「伊知花、犯人はやっぱり市民じゃないのかもしれない。新しく生まれて、何らかの理由でオルテーススに登録されないままになっている人物がいるんだ」
 人口は完全に調整されており、誰かが全機能不全に陥った際には個人登録され複製されたバイオ素体に思考情報がインプリングされて再誕生する仕組みだ。
「でも、オルテーススがラボを稼働させているのに登録されないわけがないじゃない」
「ほかに考えられないだろ。いや、ひょっとしたら後で登録を消す手順があるのかもしれない」
「そもそも、本当に人間だったの? だって人間が鋼鉄曲げたり塀を飛び越えたりする? フロートだって2m位しかあがらないよ?」
 ポップアップが次々あらわれた。伊知花にはイエロー、僕にはレッドサインだ。
 息が苦しかった。こめかみを押さえる。体温が上がるのが分かった。こんなに急に体調が変わることがあるなんて。
 犯人は人間じゃないのか。そんな、メディアから出てきたような化け物が超がつくエネルギーをもっていたら。何を企んでいるのか。
 ポーン、ピピ、ポーンと警告音が鳴ってカウントが始まった。
 エッグスが開いた。強制ログアウトだ。僕はとなりのエッグスのハッチも開いた。伊知花が深呼吸している。こめかみを押さえている。どうやらおなじ疑問にたどり着いたようだ。犯人は何者で、何を企んでいるのか。
「なに、これ……手が、震えて止まらない。イヤ。なにこれ」
 わからなかった。もっというなら、わからないということに支配されていく感覚。これをなんと言えばいいのかすら、わからなかった。とりあえず伊知花の震える手を握って止めた。混乱していた伊知花も、そして僕も少しずつ不整脈と混乱が収まっていく。
 二人の顔が近かった。互いの頭上にはスクリーニングシートのポップアップが明滅していた。無視してキスをした。追加でレッドサインがあらわれそうなほど心拍数があがったが、特に何も起きなかった。こんなに伊知花の唇が気持ちよくて、気が変になりそうなのに。

 スクリーニングに回答して二杯目のカフェオレを入れた。僕も数年ぶりにコーヒーを飲んだ。うんと甘くしたけど、それでも苦かった。そのあと二人で何時間もキスをした。キスをしてそのまま果ててしまった。性交はまだ抵抗があるし、キスなんて反仮想空間で行うなんて下劣で不衛生だけど、そんな文化が横行していた時代もあったんだから、まあいいだろう。双方合意があるんだから人体実験とかよりましじゃないか。

1 2 3 4 5 6 7 8 9