小説

『千年カグヤ』柘榴木昂(『かぐや姫』)

 結局犯人の痕跡はメディア内にもオルテーススの追跡でもなにも見つけられなかった。厳密にはハドリー山の2500mまでしか追えなかった。そこから先は、反仮想空間で人間が立ち寄る想定がなされていないのだ。メディアでも行けるのだから、わざわざ山に登る意味がない。それに高い山は空気が薄かったり、寒かったりするのだ。
 なによりあれからすでに30時間は経っている。犯人が何か狙いがあるなら既にことを起こしているだろう。
「ハドリー山は不活火山だ。旧式エネルギーコアがいかに火力があっても噴火を誘発することはできない。いったい何が目的なんだろう」
「私、あの犯人自体がもうメディアの演出じゃないかって思えてきた。他のエリアの連中もまるで関心がないみたいだし」
「それは、オルテーススが管理外だとみなしたからだろう。正直、伊知花の言った旧式機構に対してオルテーススが対応しないっていうのは衝撃的だったよ。そしてそれは確信に変わりつつある。ひょっとしたらこの世界にはほかも旧式機構が眠っているかもしれない」
「じゃあ犯人そのものも旧式機構のなにか、かもしれない?」
「それは僕も考えたよ。でも動作はともかく全体的な温度上昇が36.5度を超えるなんてウォークロイドじゃありえない……まてよ」
 僕はウィンドウからサーモグラフのデータを呼び出した。温度のあるシルエットを切り取って分析に掛ける。身長が180センチもあった。エネルギー効率を考えると人間は150センチ前後がもっとも効率よく動ける。素体のプログラムもそうなっているし、メディア内では好きにデータをいじれるのだから反仮想空間でのスタイルなんて調整しないだろう。
 いや、伊知花の髪のようにどうしたって変更したいというケースもあるだろうか。
 次に注目したのは股間だった。正確には陰嚢があるかどうかだ。サーモグラフでは36.2度を示していた。生物的な種の保存のために、陰嚢は体温よりやや低い温度を保つ。サーモグラフはこのシルエットがオスであることを示していた。少なくとも目的と行動と、知識を持った雄体だ。
 ここで疑問に立ち返る。犯人の目的はなんだ?
 頂上が隠されたハドリー山、爆発的な旧式エネルギーコア、謎の端末。
 結局行くしかないのか。
 伊知花、と声をかけると彼女は小さく頷いた。それから長いキスが始まった。僕は雄体で、きっと今は股間の熱量が一番高まっているだろう。

 空は白く、弱い雨が降っていた。パワードスーツは動きにくいが酸素と温度を管理し常態の3倍の強度を持っている。顔の部分をボウルタイプにつつむスーツだ。登山経験なんてメディアでもほとんどないため、何を準備したらいいかわからないから万全の態勢で挑むことにした。もちろん犯人からの攻撃を受ける保険としての意味もある。
 滴下ドロップを体表プラグに差し込む。これで万が一の時でも10日は生き抜ける。もっともパワードスーツにGPSが搭載されているから遭難のしようもないが。

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