小説

『福男、走る。』新月(『幸福の王子』)

「俺がいつ我儘言ったんじゃい」
「あら、いつも我儘言ってるじゃないの。この前の帽子もそうでしょう、禿げてきたからって帽子持って来いだなんて」
 ばぁちゃんが来るなり、いつも見てきた掛け合い漫才が始まる。これが始まると30分から1時間は続くから、飲み物買ってくると一声かけて、病室を出る。仲が良いことは嬉しいけれども、それに巻き込まれるのは若干面倒だ。
 自販機でスポーツドリンクを買って、半分位を一気飲みする。自転車に乗ってきたわけでも走ったわけでもないが意外と喉が渇いていたみたいだ。
 ペットボトルを片手に病院内を歩く。じいちゃんみたいに帽子を被っている人や点滴を受けている人、骨折したのかギブスで片足を固定されている人などなど。看護師さんが走り周り、医者が白衣を着たままぐったりしている。
 お疲れ様です、と思いつつ時計を確認すると病室を出てから15分位経っていた。病室に戻ろうかと迷っていた思ったその時、「あっ、お兄ちゃんだ! 」と聞こえ、走って来る人影が見えたと思えば、背後から衝撃を受けた。
「優美、走っちゃだめだって言ってるでしょ! 」
 少し離れた所から母親と思しき声が聞こえてくる。人影を見れば、この前ナースステーションに送り届けた子だった。

「先日は娘がご迷惑をおかけしました。病室から出ないように言い聞かせておきますので」
 送り届けた女の子――優美ちゃんと言うらしい――の母親は、俺に抱き着いている優美ちゃんを見ると血相を変え謝り、先日の『お兄ちゃん』が俺だと知って更に顔色を青くして頭を下げてきた。
 そこまで大袈裟なことでもないのに繰り返し頭を下げられるのは居心地が悪く、大丈夫ですと繰り返す。横目で優美ちゃんを見ると不貞腐れたような顔をしている。親が目の前で謝り続けるのって自分のしたことが悪いってずっと責め立てられているようなものだもんな。
『寂しそうにしている』という雪也の言葉を思い出す。今からじいちゃんの病室に戻っても、ばぁちゃんとの会話は最低1時間は続く。
「優美ちゃん、一緒に遊ぶか! 」
「えっ! 良いの! 」
しゃがんで優美ちゃんに目線を合わせる。優美ちゃんはさっきまでの不貞腐れた顔が嘘みたいな笑顔になった。
「優美ちゃんと遊んでも大丈夫ですか? この後、検査とかあるんですか? 」
 戸惑っている母親に声をかけると、大丈夫ですけど、と返答を濁したので、そのまま優美ちゃんに大丈夫だって、と声をかける。すると、優美ちゃんは、やったー! と声を上げて喜ぶ。
 優美ちゃんと遊ぼうと思ったのは、病院にずっといて寂しいのだろうなという感傷と優美ちゃんのしたことを全て否定するような謝り方に少し、苛立ったからだ。

 それから絵本が置いてある場所に行き、おままごとを10数年ぶり位にやり、優美ちゃんと同い年位の子も集まってお馬さん役に徹していた。

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