ふと背後の岩陰に、人の気配を感じて振り返る。と、突然男の声がした。
「・・・ああ、雪みてぇに、きれいな肌だ」
「きゃあーー!!」
辺りに、千雪の大きな悲鳴が響き渡る。
脱衣所でサトルに肩を抱かれている千雪。トメと村長が駆けつける。
サトルが語気荒く、問い詰める。
「オイ、いったい、どういうことだよ!? 女湯に・・・男がいたって!」
村長が悪びれた様子もなく、答える。
「ああ、すまん、すまん。今日は、男女の湯が、逆の日だった」
「え!?」
サトルと千雪が、声を上げる。
「いや、申し訳ない。なんせ、田舎の温泉宿なもんで、暖簾変えるのを忘れてたんだろ。きつく注意しておくが、今日のところは、私の顔に免じて、どうか、ね」
そう言い残すと、菊池とトメはそそくさと出ていってしまった。
「ちょっと、なんなのよ、もうっ!」
脱衣カゴを蹴る、千雪。
薪が爆ぜる音。サトルと千雪が食事をしている。しばらく不服そうにしていたサトルと千雪だが、お酒も入り、魚や、温かい料理を食べているうち、すっかり落ち着きを取り戻していた。
トメはすまなそうに、徳利をすすめる。
「さっきは、村のもんがすまなかった・・・」
「・・・いえ・・・」
「・・・おめは、千雪っていうのか?」
「そう。数字の千に、雪の雪」
「・・・そうか」
「ねぇ、お婆ちゃん、この村ってさ、若い子いないの?」
「いねぇな。みんないなくなっちまった」
「やっぱり過疎とか? お婆ちゃんのご家族は?」
すこし寂しげな表情をするトメ。
「オレにゃ・・・子供はいねぇよ・・・姉ちゃんはいたけど、小さい頃、消えるようにいなくなっちまった」
「え?」
「遠野の里にはな、昔からいろんな不思議な話があってな。『神隠し』って言葉、知ってるか? ・・・ウン十年も前の話だけどな。表に梨の木があっただろ? 姉ちゃんは、梨取ってくるって、表に出てな。そのままふっと、消えちまったんだ」
「・・・消えたって、どこに?」
「わからねぇ。気づいたら、梨の木の下に、草履がキレイに脱ぎ捨てられていた。そのままだ。村じゅう探しまわったが、どこにもいねぇ。山の中も方々探した・・・そのままぷっつりだ。けど、三十年くらいたったある日、変わり果てた姿で、姉ちゃんはこの村に帰ってきた。それから毎年、同じ時期になると、姉ちゃんは帰ってきた。けど、気づくといつの間にか、消えちまう。それはいつも決まって、こんな風の強い日だった」