小説

『東北奇譚』ヤスイミキオ(『遠野物語』)

「・・・ここの子?」
 女の子は、頭を振る。
「ずっと、住んでるけど違うの」
「住んでるけど、違う?」
 千雪の問いには答えず、女の子は続ける。
「・・・でもね、もうお出かけするの」
「え? お出かけ? でも、お外は雨だよ?」
「へーきだよ」 
 おかっぱの女の子は、千雪が持ったままの手毬をじっと見ている。
「ああ、ゴメンね。これか。はい」
「ありがとう・・・お姉ちゃん、気をつけてね」
「・・・え?」
 手毬を受けとると、女の子はうれしそうに駆け出していった。
 千雪は狐につままれたような表情で立ち上がり、ゆっくりと歩きだすが、ふと立ち止まって、後ろを振り返る。けれども、そこには誰の姿もなく、ただ、ガタガタと風が窓を揺らす音だけが、時折響いているだけだった。

 母屋から離れにつながる、屋根のついた渡り廊下を、サトルと千雪が歩いている。トメが前から歩いて来る。サトルはトメに軽く会釈してすれ違い、小走りで脱衣所に入っていく。
「う〜、寒い、寒い! 千雪、先行くぞ。じゃあ、後で!」
「・・・ウ、ウン!」
 千雪とトメが、すれ違う。千雪はトメを呼び止める。
「あの・・・すみません。今日って、私たち以外、お客さんいないんですよね?」
「・・・いねぇ」
「でも、さっき女の子を見たんですけど・・・」
「どんな子だ?」
「おかっぱの、ちゃんちゃんこを着た女の子・・・」
 何かを思案しているような、トメ。
「なにか言ってたか?」
「出かけるって・・・この家には長くいたからって」
 トメは、一瞬悲しそうな顔をし、
「・・・そうか・・・出かける、か」
 と短くつぶやく。
「あと、気をつけろ・・・って。あの子って・・・?」
「気にするな・・・早く風呂でも入ってこい」
 トメは再び踵を返し、母屋の方へ歩いていってしまった。

 風呂は、左右に広めの造りで、湯船には、小さな岩山が、浮島のように置かれ、ちょっと入り組んだ湾のように見える。湯気が立ち上る前方には、林が広がっている。
 湯船につかりながら、気持ちよさそうにくつろぐ千雪。
「ふー」

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