小説

『赤ずきん』花島裕(『赤ずきん』)

 想像に反して、彼は帰り際タクシーを止めるとみずきを一人乗せようとした。
 「じゃ、気をつけて」
 え? なにそれ。紳士? それとも…もしかしてゲイだったり? 頭の中を疑問符が回る。
 「あ、あの」
 みずきが何か言いたげに留まっていると、彼は混乱中の頭にキスをくれた。
 「おやすみ」
 「お…やすみなさい」
 全神経が額に集まる。それはウィッグ越しでもずわずわっとなる、官能的なキスだった。

 「みずき、本っ当ごめん!!」
 「昨日はどおも」
 嫌味を言っても本気ではない。エリが見知らぬ店にみずきを置いて元彼のところへ走らなかったら、あの吸血鬼には会えなかったのだ。
 「学食おごる! ケーキもつける!」
 「もういいよ。その代わり‥」
 ”聞き込みに付き合って”。そう聞くとエリは化粧でばっちりの目をさらに倍にして瞬きをした。
 昼はカフェ、夜はバーに変わるその店は最近のエリのお気に入りで、店長とも顔なじみのようだった。一夜明けた店内はオレンジ色の装飾を失って別物のように静かになっている。同じテーブル、同じお酒。でも彼はここにはいない。
 店長の手を借りてスタッフと店の常連に声をかけてもらったが、誰に聞いてもあの人のことはわからなかった。ネットにもどこにも彼の情報はない。
 ゲーム・オーバー。
 それでもみずきは諦めきれなかった。あんなときめき、後にも先にも彼しかいない。また会いたい。次に会えたら、今度こそ、みずき自身の頭にあのキスをもらうのだ。
 「何で連絡先聞いとかないかなー」
 手がかりの得られない刑事ごっこにエリはすでに飽きている。
 「だってタクシーで別れると思わなかったし」
 ごにょごにょごにょ。
 「じゃあ、今回は縁がなかったってことで。ほかの人いくらでも紹介するよー」
 「嫌。あの人がいいの」
 ちょっと気まずい沈黙がよぎる。話題を変えなくては。
 「で、エリはコースケ君とどうなのよ」
 「わかんない」
 「よりはもどさなかったんだ?」
 「…うん」
 さっきまでの強気は飛んで、エリはシュンとしおらしくなった。浮気性のコースケとダメ男好きのエリはくっついたり離れたりの常連で、みずきの知るだけで三回は別れる別れる詐欺をしていた。どこぞのセレブじゃないけれど、心配するだけ心のムダだ。

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