小説

『はたちの狐』網野あずみ【「20」にまつわる物語】(『狐の嫁入り』)

 その後の数日は、離れたところから彼女の様子を窺うにとどめた。ぶり返しのような暑さが続く中でも、白衣に袴姿の狐が何時もの姿勢を崩すことはなかった。
 念のため、逗留先の農家で狐の嫁入りの伝聞について尋ねてみたが、農家の年寄りも、そんな話は聞いたことがないと首を傾げるばかりだった。
 その日、麓の村では二百十日に因んだ祭りがあるということで、まだ日の高いうちから集落全体が浮き立っており、広場には早々と屋台が建ち並び、祭り半纏を着た人々が行き交っていた。
 秋吉はカメラを構え、笑顔で話し合う年寄りや、腰に挟まれた風神の面に向けてシャッターを切った。自らも屋台のひとつでひょっとこの面を手に取り、少し迷ってから、対になっていたおかめの面も一緒に買い求め、二つとも首にかけた。
 こんな日でも和恵は神社の境内にいるのだろうか? 気になった秋吉はそれを確かめるために、祭りで賑わう広場を後にして、神社に向かった。通い慣れた階段を登り切って参道に立つと、そこは麓の喧騒が嘘のような静けさだった。このところ大分柔らかくなってきた蝉の声を耳にしながら、秋吉はひとり参道を歩いて行った。
 社に向かう参道の途中で、秋吉は蝉の死骸を見つけ、ふと足を止めた。しゃがんで見ると、すり減って角の丸くなった石畳の上で、油蝉が足を折りたたむようにして仰向けになり、カサついた石灰色の腹を見せている。そして、そのすぐ脇に、薄茶色のセミの抜け殻が、生きていた頃の姿のまま転がっていた。
『生』の始まりと終わりが隣り合わせになっているこの偶然の配置の妙に、秋吉は迷わずカメラを構えた。ファインダー越しに位置を変えながら構図を探っていると、麓の方から、お神楽の笛や太鼓のリズミカルな音が風に乗って耳に聞こえてきた。つい今しがたカメラに収めてきた、村人たちの生き生きとした笑顔が目によみがえるとともに、ファインダー越しに見ていた蝉の死骸が急に意味を失い、その辺りに落ちている塵の類と同じものに見えてきた。
 生きることを忘れたかのように境内に座り続ける和恵の姿がそれに被った。存在を忘れられた空虚な物体……。
 秋吉はシャッターを切ることなく、憤然と立ち上がった。自分が訳もなく苛ついているのが分かった。
 秋吉は口を真一文字に結びながら、奥の境内に向かってずんずんと歩いて行った。歩くたびに首の後ろで二つの面が触れ合い、カタカタと音を立てていた。
 日が傾いて薄暗くなった境内には、やはり狐の面をかぶった和恵がぽつんとひとりで腰かけていた。白い小袖と狐の面が、陰の中にぼんやりと浮かんでいる。彼女の耳に、お神楽の鳴り物の楽し気な音は、どう届いているのだろうか。
 秋吉は参道を歩いてきた勢いのまま、和恵の隣にドカッと腰を下ろした。その強引さにも、彼女が反応を示すことはなかった。
「村ではお祭りをやっている。行かないのか?」
「行かん」

1 2 3 4 5 6 7 8 9