小説

『小さな川の出口』菊武加庫【「20」にまつわる物語】

 レンズの内側で目をつぶり、今はこれで――と思っていた。

 そのころよく、高校生のとき家をリフォームしたことを思い出すようになっていた。
 母は絶対に家中を二重サッシにすることにこだわり、床も二重に張り直すと聞かなかった。さらに、玄関に至っては二重ロックの上にもう一つ鍵をつけた。
 雪国でもないのに、盗まれて困るものなどない家なのに、母はいったい何から、そして何を守りたくてあそこまで言い張っていたのだろうか。
 父が家を出たのはそれから二年後のことだ。
「おとうさんは何も決められなかったのよ」
 母が言ったのはそれだけだった。
 それは「さいころは六面なのよ」とか、「ひまわりは夏に咲くのよ」といった言葉のように、情緒を含まず事実を伝えただけのものに聞こえた。
 夫(元)を非難するわけでも、ましてや褒めるわけでもなく、それ以上でもそれ以下でもない、父という人について娘に伝え、淡々と終わったことを話しただけに聞こえた。
 その日以降、父の話をすることは殆どなくなった。聞けば何か答えてくれたかもしれないし、母にしても話したいことがあったかもしれない。だが、わたしは子どもで、父とも母とも距離を置きたかった。そうすることで自分を守りたかった。
 眼鏡をかけて安心するのは、母が窓を二重にしたのと少し似ているのかもしれない。

 レンズを味方に大学生活を無事終え、運良く公立の幼稚園に就職して五年になる。テレフォンセンターや苦情受付窓口がある職場と違い、うちの職場はクレームがダイレクトに届く。かんかんに沸騰した母親たちと向かい合って話すことは、年に二度や三度ではない。あるいはとらえどころのない長い愚痴につき合わされることもある。子どもがけがをしたときの対応などは、一つ間違うと大変なことになる。
 そんなとき、つくづく眼鏡はありがたいと思うのだ。直火にあたらなくて済む感覚がある。一歩引いて、別の落ち着いた自分になって話を聞くことができる。
「でも……」と本当の自分が反論しそうになるのをレンズが止める。
(そうだね、相手は正論がほしいわけじゃないものね)
 レンズが教えてくれる気がするのだ。
「また何かありましたら、すぐにご連絡ください」たどり着く。
 苦手な主任に叱責されるときもそうだ。
「この間も言ったでしょう。わたしたちは子ども主体で判断しないといけないの……」

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