小説

『小さな川の出口』菊武加庫【「20」にまつわる物語】

 渉もわたしと同じく拠点のない学生で、妙に親近感が湧いた。彼は一年の四分の三を新しくもないTシャツや、袖の緩んだトレーナー、よく見ると染みが残る褪せたジーンズで過ごした。残り四分の一はその上に、何か防寒のための安価な上着を羽織るだけだった。
 髪型はカットした直後は何かの型があったのだろうが、大抵もはや何を目指したかわからない形にはねていた。ドライヤーをかけ、櫛を入れる習慣は彼にはなかった。
 数ヶ月に一度髪を切るのだが、整えられた頭のままでいることをなぜか恥ずかしがって、ぐしゃぐしゃにしてから表に出た。新しい服は着る前に皺にした。ぴしっとするのが気恥ずかしいので、いつもそうするのだ。誰も見ていないのに変な自意識がある人でおかしかった。そしてそれは自分と共通する何かのような気がしていた。
 ほつれた袖口で、寝ぐせのついたままの髪でただひとつ、なぜか不潔に見えないのが渉の救いだ。
 二人で過ごす時間は緩やかで、どこも締めつけることのない、色も柄も気に入って馴染んだ、少し褪せた服に似ていた。留年しない程度に授業を受け、バイトをし、お金が入れば学生価格の居酒屋で飲んだ。あとはどちらかの部屋でだらだらし、時に映画を見て散歩をし、部屋で食事らしきものをすませた。渉は気が向くと料理を作り、それはわたしよりも上手だと思うときが今でもある。
「高菜炒飯はさ、ごま油多めで砂糖少し入れるとうまいよ。あとは鰹節とごまと醬油も少し」
 本当においしかった。そういったレシピよりも、リズム感というかタイミングというか、そういったものが料理には大切で、彼には生まれつきそういったものが備わっていると思うことが多かった。
 向上心のないぐうたらにしか見えない生活だが、一緒にいると何かが補え合える気がして、目指した大学生活とは少し違うけど、これはこれでいいような気がしていた。
 渉といるときは眼鏡がなくても緊張することがない。               
「円香の子どものころを見てみたかったなあ」
 眼鏡をとった顔を見て、彼は呑気に言った。

 自分が何かになる、なれるというほど、わたしたちは自惚れてなどいなかった。だけど、あと少しでどこかに押し出されるということだけは、よくわかっていた。
 河口はすぐ近くに見えていたが、渉はその先に美しい海が約束された男ではないし、それはわたしも似たようなものだ。なんとなくではあるが、それもわかっていた。美しく広い海を、どんな天候の日も最大の努力で泳ぎきろうとする人たちは、キャンパスの別な場所に棲息していて、日々遊泳しながらもウォームアップを怠らない。その群れを見ると、なんだか疲れてしまう二人だった。
 だが、とにかく自分が誰かとこうして関係を築くことができる、その変化が意外で小さな喜びでもあったのだ。少人数ではあるが、共通の友人も持つことができた。

1 2 3 4 5 6 7 8