他の言葉は一切しゃべれない。数えることしか彼女はできない。はじめは三つまで、少しずつ数は増えていき、十まで数えられるようになった。根気よく妻の手をとって、私は二ケタの数字を教えていった。
「じゅーいち、じゅーに、じゅーさん」
そうだ、偉いぞ。よく言えたじゃないか。
「じゅーし、じゅーご、じゅーろく」
これだけ数えられるなら、ほかの言葉もすぐに喋れるようになるぞ。
「じゅーしち、じゅーはち、じゅーきゅ」
なぁ、本当に君は、全部忘れてしまったのか?
「……」
なぁ、答えてくれよ。頼むから、帰ってきてくれよ。
「……じゅーじゅ!」
娘が何度も繰り返していた言葉を、妻は大切に心の片隅に取っておいたのだろうか。それとも自身の全てを消し去って、私たちが懸命に愛した娘の魂を、この世に連れ戻そうとしたのだろうか。
このささやかな奇跡を喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、私には分からない。「じゅーじゅ」と言いながらあどけなく笑う妻を抱き締めることしか、私にはできない。