小説

『じゅーじゅ』末永政和【「20」にまつわる物語】

 病院を出ると、いつの間にか雨があがって青空が広がっていた。雨滴をはらんだミモザアカシアが、きらきらと輝いていた。街路樹としては手がかかると聞いているが、春先に咲く鮮やかな黄色は、不安を抱えて病院を訪れる人たちに希望を与えるのだろう。桜ではなくミモザアカシアを選んだところに、この病院の優しさを感じる。
 何度も振り返りながら横断歩道を渡り、高架下の日陰を歩いて駅へと向かう。ロータリーでタクシーを拾い、私は丘の上の墓地へと向かう。ふと思い立っての道行きだから、花も線香も持ってはいない。墓地の近くの公園でタクシーを降りて、木陰に咲くシロツメクサを摘み取った。
 娘が好きだった花だ。

 きらきらと輝いていたあの日のことを、私はつい先日のことのように思い出す。私と娘は二人してシロツメクサを摘み取り、それを妻に渡す。妻は器用に小さな毬のような花を結び合わせて花冠をつくる。それを頭に乗せてもらった娘は、ご機嫌に飛び跳ねてみせる。そんなささやかな幸せが、ずっと続くのだと……私たちは疑いもしなかった。

 数本のシロツメクサと、ぐうぜん見つけた四葉を墓前に備える。いまだに私は、墓の前で手を合わせることができない。線香を立てるのにも抵抗がある。娘が元気だったころのように、私は今も向き合っていたいのだ。
「じゅーしち、じゅーはち」
 あの日の娘の声が蘇る。摘み取ったシロツメクサを数えているのだ。
「じゅーく……じゅーじゅ!」
 娘は私の顔を見上げてエヘヘと笑う。パパ、どうして泣いているのと、娘は小さな手のひらを私の頬に伸ばす。力いっぱい抱き締めてやりたいのに、私の両手は力なく空を切る。


 娘はずっと「二十」が言えなかった。「十九」の次は決まって「じゅーじゅ」だった。そうして娘は純真なまま、この世の悪意や悲しみに触れることなく旅立ってしまった。ただの風邪だと思っていたのに、娘はあっけなく息をひきとったのだった。
 妻はそのことでひどく自身を責めた。私は私で妻の悲嘆を慮ることができず、娘の死を直視することもできなかった。片や娘を失った悲しみに浸りながら、片やその事実から目を背けながら、私たちはぎこちなく日々を送っていた。
 あれは娘をなくしてから、二年ほどがたった頃だったと思う。土曜の朝方、私はリビングで新聞を広げていた。妻は窓辺の陽だまりにぺたりと座り込んで、小さな編み物をしていた。悲しみはまだ癒えてはいなかった。娘のことを口にすることはなくなったが、妻は変わらず娘のために生きていた。

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