小説

『じゅーじゅ』末永政和【「20」にまつわる物語】

 沈黙が気詰まりで、けれどテレビは目障りなので、私はラジオをかけていた。結婚前に買ったおんぼろのせいで、うまく電波を拾えず音がくぐもっている。やがて流れてきたのは、中原中也の「また来ん春……」という詩だった。
 私はこの詩の内容を知っていたから、あわててラジオを止めようとした。しかし遅かった。妻は編み物を投げ出して立ち上がり、じっとラジオを、その先に座る私を見つめていた。


 おもえば今年の五月には
 おまえを抱いて動物園
 象を見せても猫(にゃあ)といい
 鳥を見せても猫だった


 妻は嗚咽をこらえることができず、娘を失ったあの日のように、声をあげて泣いていた。何度教えてあげても「じゅーじゅ」としか言えない娘のことを、彼女は思い出していたのだろう。


 妻が自殺を図ったのは、樹々が色づき始めたころだった。
 病室のベッドの上で、妻は赤子のように横たわっていた。声をかけても不思議そうに私の顔を見つめるばかりだった。一命はとりとめたものの、彼女は過去のすべてを失ったのだった。
 そのときから、私は償いのように彼女に語りかけるようになった。出会ったころの思い出を。初めてのデートに遅刻して、彼女を怒らせてしまったことを。彼女の両親からなかなか認めてもらえず、いっそ駆け落ちしようかと語り合ったことを。結婚式の当日に、私と義父が二人して号泣してしまい、ずいぶん周りに迷惑かけたことを。おぼろげな記憶をたどりながら、私は幼子のような妻を前に、もう一度やり直そうともがいていたのだった。
 努力の甲斐あってか、妻は少しずつ表情を取り戻し、私の存在を認めてくれるようになった。しかし妻にとって、不器用に語りかけるこの男は夫などではなく、ただの保護者に過ぎないらしかった。彼女は童女のように私に甘え、面会時間が終わって病室を出ようとすると駄々をこねて悲しむのだった。
 ひとつだけ、妻には語れない思い出があった。幼くして亡くなった娘のことだった。もう妻は覚えていないのかもしれないが、悲しいだけの思い出など、今の妻には不要だと思ったのだ。そんなふうに娘の記憶を遠ざける私は非情だったろうか。しかし私は、とうの昔にいなくなってしまった娘より、今目の前にいる妻との時間を大切にしたいのだった。それだけが、私にできる罪滅ぼしだと思ったのだ。

 もっと前から、妻が元気なうちから、こんなふうに言葉をかけてやればよかった。今となっては言葉は力なく、妻の足下へ落っこちてしまう。どれだけ心をこめて語りかけても、妻の心には届かない。妻の心を現世に引き戻すほどの力を、私は持っていないらしい。
 それでも妻は少しずつ回復し、私の言葉にうなずいてみせたり、笑ってみせたりするようになった。そうして……妻はある日突然、「いーち、にーぃ」と数を数えるようになったのだった。

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