小説

『GASOLINE BOOGIE』広瀬厚氏【「20」にまつわる物語】

「だってオヤジもいなくなっちまったし、若菜は中学あがるだろ。うち大丈夫なのか? 」
「あなたがそんな心配しないでいいのよ。大丈夫よ、お父さんいなくたって前とそんな変わらないんだから」
 結局洋介は高校に入学した。母親は工場が休みの日にも、他にパートに出るようになった。そんな母親の後姿を見て、洋介は、真面目に勉強しなくてはならないと思った。そして実際、真面目に高校に通い、真面目に勉強をした。にもかかわらず高校二年の夏、ひょんなことから傷害事件を起こしてしまい、やむなく高校を退学するのはめとなった。すさんだ彼は、とりあえずな仕事を見つけ、安い部屋を借り、家を出た。それから数えるほどしか家には帰っていない。ここずっと母親の顔も妹の顔も見ていない。本心には二人のことを大変気にしているにもかかわらず。

 洋介は町を抜け国道を南へと、車を海へ向け走らせた。徐々にすれ違うヘッドライトの光の数が減ってきた。アメ車のチームだろうか数台の古いマッスルカーが、V8サウンドを轟かせ、反対車線をすれ違いに走っていった。流行りのエコカーとは正反対の、ガソリン大食らいのエゴカーとも言える。そんな、強いアメリカの亡霊も別に悪かない、逆にいいんじゃないかと洋介は思った。
 国道を軽快に車走らせながら、ふと洋介は空に目をやった。暗い暗いと勝手に感じていた空には、実は意外にも明るい満月が光っていた。それまで夜空などろくに見ていなかったのだと、彼は気づいた。自分の心が夜を勝手に暗くしていた。暗いのは夜でなくして自分の心だ。死んでやる。悪を道づれに燃え死んでやる。と、半月ばかし完全に、甘い絶望に、酔いしれていた彼の心が少し冷めてきた。だいたい悪ってなんだ? 漠然たる標的に疑問が芽生えた。彼はいつかどこかで聞いた覚えがある、
「最悪なのは自分の心が自分自身になすことだ」と言った言葉を思い出した。そうかも知れない。だいたい自分が悪を罰するなんて考え自体が大変おこがましい。洋介は閉め切ってある運転席のウインドウガラスを少しおろした。微かな潮の香が彼の鼻先に届いた。もう少し車を走らすと港に出る。

 今から一年ほど前、洋介は女と同棲を始めた。その女とはショットバーで出会った。洋介は未成年ながら、高校をやめてから酒をほぼ毎晩飲んでいた。たいていひとり飲んでいた。その晩、その年上の女は、バーカウンターを前にひとり飲んでいた。洋介がひとり店のドアを入ったとき、すでに女はかなり酔っていて、カウンターの向こうに愚痴を吐いていた。洋介は女とひとつ席をあけ座った。洋介が座ったとたん女は席をつめ彼のとなりに座った。そして女は他人の洋介にねちっこく、別れた男の愚痴を話し始めた。洋介は酒を飲みながら女の愚痴を、嫌がることなく黙って聞いてやった。そのうち彼は、女に同情を覚えた。女を憐れんだ。かわいそうだと思った。彼は話の合間に優しい言葉さえかけるようになった。女はその晩洋介の部屋に泊まった。それからそれほど日経たずして、ずるずると、二人は一緒に暮らすようになった。

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