「娘さんが人を殺して、逮捕されたとき。それと……死んだとき。どちらが悲しかったか、教えてくださいよ」
信子は逡巡した。正直に答えるべきだろうか。
信子は、わざわざどこかで調べてまでうちにやってきた桜井の目的が全くわからなかった。
「私のために答えてくださいよ」
桜井は信子に問う。信子は試されているのかと思う。自分の娘が犯した罪と向き合うために。
あの日。娘は獣のような異臭を放ちながら帰宅した。娘は信子の顔を見るこ
ともなく無言で風呂場に直行した。ちょうど信子が夕食の支度をしている時間だった。ニュースだったかワイドショーだったか、テレビの音が遠くで鳴っていた。信子は娘の様子にただならぬ異変を感じ、料理の手を止め、風呂場に向かった。
脱衣所に制服を脱いだ形跡はなく、シャワーの音だけが派手に聞こえた。信子は娘の名をドア越しに呼んだ。だが返事はない。確かにそこにいるのに娘の気配はしなかった。信子は思いきってドアを開けた。娘は、制服を着たまま、冷たいシャワーを浴びていた。何があったのか全くわからなかった。想像もつかなかった。娘に手を伸ばすと娘は「ママ!」と言ってびしょ濡れで信子に抱きついた。そしてわああ、と、泣いた。信子は娘と一緒にシャワーに打たれながら、冷静にやれることを考えた。事情を聞きたいとは思わなかった。怖かったからだ。ただ、今まで見たこともない嵐がすでに信子の人生を支配していることは、赤ん坊のように泣く娘から感じ取っていた。
今にして思えばあの日、悲しみは感じなかった。むしろ娘のために強くならねば、逞しくあらねば、と、場違いな勇気に奮い立っていた気がする。
そんな信子のあの日の決意を、桜井は見抜くかも知れない。そしてそのことで傷付くかも知れない。だが本音を言っても傷付く。結局、傷付けることしかできない。桜井は傷付くためにここに来たのだろうか。
返事を待つ桜井が煙草の吸い殻を香炉に埋めた。
「……傷は……娘が……死んだときの方が……だから……ごめんなさい……だから、私は……娘の責任を取らなければ、って……思いました……うちは夫も早くに死んで、ずっと二人きりだったから……なのに……本当に……ごめんなさい……桜井様には謝罪の言葉しか出てきません……」
「名前呼ばないで」
「……ごめんなさい……」
桜井は鞄をごそごそさせて何かを取り出し、テーブルの上にごとり、と置いた。それは刃物……サバイバルナイフだった。
「ひいっ!」
信子は思わず恐怖で退いてしまった。
「お宅、何でもしてくれるんですよね?」
信子は桜井から何を乞われているのか考えた。答えは一つだけだった。
「この場で、あなたの目の前で、死ね、ってことですか」