「俺がナンパしたんだ。人生最後のナンパだな」
父が得意そうに言う。
「私はこのおじさんとたまたま三途の川のあっちとこっちで出会っただけで、この世でのつながりとか関係なんかはないんです」
父が幸子の肩を抱くと、幸子はまんざらでもなさそうな顔をした。ホームレス風のオッサンと幸薄い四十がらみの熟年カップル。なんか不愉快だった。
「用事がないのならそろそろ帰っていただけませんか?三途の川でも地獄の釜でも」
すると幸子は父にしなだれかかり、身の上話を始めた。
「私、小さいころから存在が薄くて臼井幸子なのに存在薄子と言われて。私、妹がいるんですけど、妹はちびっちゃい薄毛の男の元へお嫁に行きました。妹は、子供を一人産むたびに十キロ太り、出不精になりました。そんなわけでここ数年は実家に寄りつかず、私は妹には三年くらい会ってなかったんです」
「ということは、妹さんへの恨みがあって三途の川を渡らずにうろうろしてたわけですか」
俺が言うと、「まあ、そういうことになりますかね」と、幸子は反省したように頭を垂れた。
「妹はモトコっていうんですけど」
「臼井モトコと薄毛男」
「結婚して、あわごんモトコになりました」
「あわごん……どんな字だ」
父の戸惑いを尻目に、俺は「阿波根」の文字がすぐに浮かんだ。沖縄出身の同僚の友人の親戚にそういう変わった名前がある、というのを今日、聞いたばかりだった。それは、同僚の友人の親戚の親戚が葬式で聞いた、珍しい名前の話題だったような気がした。ということは、幸子も、俺と全く縁がないわけではないのだな、と思った。うっす~い縁ではあるが。
「そんなですから、きっとお通夜もひっそりしたものだと思ったら。妹がね、五人の子をほっぽり出して、号泣してるんですよ。私の体にすがって。お姉ちゃんどうして、お姉ちゃんどうして、って」
やせ細った幸子と80キロはくだらないモトコ。俺はペンギンがトドに飲み込まれる映像を思い出した。
「子供の頃、私が遊んでやらないと、よくあんなふうに泣いてたのを思い出しました。お姉ちゃんどうして一緒に遊んでくれないの、どうして一緒に寝てくれないの、お姉ちゃん、どうして一緒に学校行ってくれないのって……。私が中学生になったから、妹の小学校には行かなくなっただけなんですけどね」
「なるほど。そりゃ一本取られた。ははははは」
父は細かな感情やら感傷がないらしく、楽しそうに笑った。
「そうして通夜の弔問も途絶えて、精進落としっていうんですか、ちょっとした宴会が始まって」
「ぬるい瓶ビールと乾いた寿司を食わされるやつね。あれ俺きらいだわ~」
「それです。その乾いた寿司をいっぺんに三貫もほおばりながら妹は今度は大爆笑してるんです。私が小学生の頃に隠し持っていた演歌歌手のブロマイドを見つけて鬼の首取ったみたいに得意になったことを話して。盛り上がって……。楽しそうでした」
俺はトドが寿司を食べる映像を想像したが、うまくできなかった。