小説

『台風の向こうがわ』藤野【「20」にまつわる物語】

 嵐の中に真っ赤な風が飛びこんでいった。
「あ、」というゆっこの小さな声が聞こえた時にはもう遅くて、彼女の手からするりと抜けだしたそれは、これまでの遅れを取り戻すかのように勢いよく空に飛び込んで、そのまま僕らにはどうしようもないところまで行ってしまった。
 残された僕たちはぽかんと顔を見合わせたあと、ほとんど同時に笑い出した。

 台風を見に行こうと言い出したのはリョウだった。7月20日の終業式の日、台風が来て集団下校のために体育館に集められているときだった。
「窓から見えるじゃん」
 と、僕が言ったらリョウはニヤリと笑ってこう言った。
「上から見るんだよ」
「上から?」
「決まってんじゃん」
 リョウは「キュースイトー」と暗号の様に声をひそめた。キュースイトー。給水塔!ちょうどそのとき、同じ班のゆっこが1年生のショータの手を引いて到着してしまった。「にいちゃーん」とショータが遊園地にでも来たようにはしゃいでこちらに突進してくる。「あとでな」と囁くようにリョウが僕に言ったのを聞きつけて「ゆっこちゃーん、リョウくんとコウちゃんが台風なのにどっか行くって言ってるー」
 と、前歯2本がない顔でショータがにんまりと笑う。先生に人数の報告をしていたゆっこはショータが言ったことがよく聞こえなかったようで「え、なぁに?」と不思議そうに顔を上げた。僕らは慌ててショータを押さえつける。ゆっこにばれたら絶対にとめられる。
「んなわけないだろ。俺らなんて簡単に飛ばされちゃうんだから。怖いぞぉ」
「そうだよ、家の中から高みの見物するのが賢いやり方だよ」
「えー、ウソだー。俺聞いたもーん」
 と、しがみついてきた。仕方なくそのままショータを引きずるようにして歩き出した。さっさと団地まで連れて帰って、リョウとさっきの話の続きをしたい。ついつい足が速くなる。僕らのうしろから他の班員を引き連れて歩くゆっこが、「待ってよ」と珍しくきつい口調で言ってくるからゆっくり歩こうとしてみるけど、そんなの無理だ。
 だって、給水塔に登るのは僕の昔からの夢だったから。

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