小説

『台風の向こうがわ』藤野【「20」にまつわる物語】

 ゆっこが何も言わずにうなづいた。
 7月20日は必ずいつも家でお母さんの作ったご馳走を食べた。いつもオレンジ色に柔らかく光る給水塔が窓の向こうにを見えていた。
 いつの間にか嵐が去って嘘みたいに銀色に光る月が僕らの住む団地を照らしていて、ずっしりと雨に濡れたせいで月明かりと給水塔のオレンジ色の明かりをはねかえしてどの家も柔らかに輝いていた。髪から滴る水が僕の顔を濡らしていくせいか目がかすむ。僕の頬を流れていく水は妙にあたたかかった。ゆっこが「雨だね」と言って赤い傘を僕にさしかけてくれた。雨なんて降っていないよ、と言おうとしたとき、台風のさいごの風がビュンと戻ってきた。
 そしてゆっこの傘はふわっと浮き上がったと思ったらそのまま風にのって僕らにはどうしようもないところまで飛んで行って姿を消した。
 あっという間に消えていったゆっこの赤い傘をみおくったあと僕らは本当に思いっきり笑った。こんな広い空の下だったら傘だって自由に踊りたくなるに決まっている。笑っているうちに僕の中のどんよりとした塊がどんどん小さくなっていくのがわかった。
 ゆっこと別れて家に帰ると僕は大きな声でお母さんに、おやすみなさい、といってから自分の部屋にはいった。お母さんに届いているかはわからない。けど、あの螺旋階段が僕の未来にも繋がっている道なら、きっとまた僕が訪れたいと思ったあの時間にまた会えるはずだから。
 翌朝、僕が家を出るときにお母さんの部屋から音がした。生まれたての風みたいな小さな声だったけど、「おはよう」って僕にはしっかりと届いた。僕も大きな声で返事をして家を出た。大きくて眩しい世界が広がっていた。リョウが外で待っていて、昨日家を出る直前に親に見つかったと悔しがった。どこから話してあげようかと少し悩んで、団地の脇の公園を通りかかったところでリョウに教えてあげた。
「台風の向こう側を見たんだよ」
 雨で濡れて輝く芝生の上に、赤い傘がころんと転がっていた。

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