小説

『粗忽なガーヤ』佐藤邦彦(『粗忽長屋』)

「そりゃ、あっちのあっしは喜ぶでしょうが、あっしは納得できねえ。あっしは、あっしが火星ツァーを楽しんでいる間、会社に行かなきゃならねえてんですかい。そんな馬鹿な。同じあっしなのに、不平等だ!差別だ!人権侵害だ!」
 喚いております熊五郎´に博士が因果を含めて言い聞かせますが、到底納得せず、あっしがあっしがと喚き続けます。業を煮やした博士、熊五郎´に。
「黙れ!言うことをきかんか!これ以上ごねると、お前のスイッチを切ってしまうぞ!」
と云いまして、手に握ったスイッチらしきものを見せますってえと、途端に熊五郎´黙り込むので御座いました。
「さて、熊五郎´、いくつかお前に説明せねばならぬことがあるのじゃ」
「説明で御座いやすか…」
 「うむ。良いか、お前は熊五郎と同じ記憶に知識、個性を持っておる。内面はまったく一緒じゃ。しかし、その肉体はまったく違う。お前には食事も必要ないのじゃ」
 「じゃ、あっしは食事の楽しみもないんで……」
 「当然じゃ。一日に一度、この研究室にある専用の充電器で充電すれば充分じゃ。他にも違いはあるぞ」
 と、博士から自分の肉体について説明を受けていますと、熊五郎の直脳通話に八五郎がアクセスを求めてきましたので、熊五郎´、これを許可致します。
 「おう。熊、どうだったい?」
 八五郎の問いに二つの返答が重なります。
 「兄ぃ。おかげで助かったぜ」
 「兄ぃ。おかげで大変なことになっちまったぜ」
 「おっ⁉なんだ。返事がふたつありやがる。これがほんとのふたつ返事ってヤツだな」
 「おっ、そっちの俺、起きやがったな」
 「おい、そっちの俺、酷いじゃねえか。俺も火星ツアーに連れていけ!」
 「まず、これも当然のことじゃがトイレも不要じゃ」
 博士が説明を続けております。会話と通話を同時にすると混乱しないかとお思いかも知れませんが、この頃の人間はコンピュータに近付いておりますから、同時に二つのことを脳内で処理することなど造作もないことで御座います。ましてや熊五郎´は人工脳ですから尚更で御座います。
 「睡眠もとらなくていいんで御座いますか?」「俺よ、一度話し合おう。俺同士なんだから公平にしょうぜ」
 「いや、睡眠は必要じゃ。肉体は別じゃが脳は休ませねばならぬ」
 「おいおい、熊五郎が二人いるのかい?」
 「お前も俺なんだから、俺がこの後どうするか分かるだろ?」

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