小説

『しゅう末より』高橋己詩【「20」にまつわる物語】

 いつだったか明男にそう聞かれた。
「ねえ、どうして皆は世界がおわることを知ってるの」
 初めて会ったとき、明子にもそう聞かれた。
 そういえば、そもそもどうしてだったのだろう。それは根本的な疑問だった。確かに、僕らは世界がおわるということをいつの間にやら知っていて、誰にとっても共通認識となっていた。世界がおわるということは皆が知っていることなので、誰もそれについて言及することはなかった。だって、誰もが知っていることなのだから。課長代理が周知したことによって僕は知ったが、それは僕が知るためにきっかけであっただけで、ではその情報がいつどこで発生したかと訊かれれば、僕は閉口するほかない。
 世界のおわりというのは、重力や大気圧という存在のように、常に誰しもと共にあるからこそ意識されない。人間が生まれる、という現象よりも先だって存在している。突如としてある特別な人間が不意に疑問視し、長らくの歳月をかけ、他人にも理解のできる疑問と解答を導いてくる。世界のおわりに対して理屈を付するには、もうそれしかないのかもしれない。
 テレビのニュースやインターネットでもそれに関する情報に触れるのは日常茶飯事で、おわりにちなんだデザインを採用した大手のポータルサイトにも、気づけば目が慣れていた。雑誌や新聞も常に話題としながら、それを特別視するような姿勢は保たなかった。悔い改めよ、と宗教以外を見失った宗教家が騒ぎ立てることもなかった。世界のおわりが経済効果を失ってからは、企業もそこから手を引いていった。

 世界の動きを尻目に、明男と明子は旅行に出た。東京駅発の鈍行列車を利用して、南房総をぐるりと一周。館山の北条海岸では一晩寝そべり、明け方には二人で潮っぽい空気に包まれながら、海に浮かぶ富士山を眺めた。気まぐれな富士山が姿を見せたのだから、二人は天候と運に恵まれている。
「世界はどうしておわるんだろうね」
「絶望ばかりだからだよ」
「そうなのかもね。何でも気持ち次第だからね」
「そう、気持ち次第」
「最後まで楽しく過ごしたいね」
「そうだね。そうなるよ、多分」
「世界がおわるまで、世界に本気では絶望したくない」
「そうだね。そうはならないよ、きっと」
 北条海岸で、二人はそんな会話をしたという。どれがどっちの発言かはもう忘れた。
 二人は僕にお土産を買ってきてくれた。
「世界がおわるんだったら、これ食べなよ。おいしいから」
 明男から渡されたのは、落花生だった。

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