小説

『あひるとたまご』或頁生【「20」にまつわる物語】

 幾度も強く瞬きから、意識的に大きく深呼吸を数回繰り返すも、長らく忘れていた、甘酸っぱく懐かしい動悸のドラムロールは鳴りやまず。
 パソコンの画面に映し出された、正晃のブログの1人の奇特な読者が配信する最新記事の画像の中には、子供用の白とピンクの自転車の模型と、粘土細工の可愛いあひるの女の子の姿。
『10歳のおけいこ』と題された作品を目の前に、正晃は過日悪友が仄めかした『奇跡』の二文字が、もしかすれば自身をチョイスしてくれたのかもと、揺れる心が制御し切れずにいた。

 
「やっぱり偶然だろう。冷静に考えれば同じようなシチュエーションは数え切れないし」
 ロケット打ち上げレベルでの高揚感も、時間の経過と共に冷静になれる人生経験値が、次第に正晃を落ち着かせようとし始めていた。
 何より『あひるのたまご』から尾崎正晃なる無名の一個人に繋がる糸は見当らず、便利なネット検索機能を色々駆使してみても、それは一緒だった。
「こりゃ宝くじの高額当選の方が高確率だな」
 ぬか喜びに俄に心狂喜乱舞状態と化した自身を、少しだけ恥ずかしく思いつつも、それでも日増しに心の中で膨らみ続けるのは、そんな小数点以下無限大数レベルの可能性への期待感。
「ようし。1度だけ隠しメッセージを配信してみよう。もしもこの女性が洋子ちゃんだったら気づいてくれるハズだ」
 今更何を恐れる必要こそ見当たらずも、離れて暮らす妻子が配信内容を不自然だと感じず、他の読者にとってはごく自然な更新と映るも、世界中でたった1人、彼女だけにピンポイントで伝わる記事。
 熟考状態に突入した結果、ほぼ毎日もしくは確実更新だった『あひるとたまご』は、開始以来初の小休止状態を暫し続ける事に。

 
 原稿用紙に換算して数十枚もしくは百枚単位の下書きを繰り返した果て、結局正晃がほぼ1週間振りにアップした記事は、たった1枚のスナップとワンセンテンスだけ。
 百円ショップで買った小さな段ボール仕様の立方体の箱の中に、四十数年間保管していた、色褪せた自転車の写真が1枚。
「ホントに長い間ありがとう。20インチに四十数年分の感謝を込めて、確かにお返しします」
 されど程無くの訪問を知らせる着信に飛びついてみれば、全く知らない読者からの、当たり障り無さ過ぎる誉め言葉らしきメッセージ付き。
「よりによってこのタイミングで関係ないヤツから・・・これじゃ彼女からの連絡は絶たれたも同然だ」
 全身全霊を賭けての個人的一大プロジェクトも、この展開を想定していなかった自身の詰めの甘さ故、泡と消えてしまったと諦めた数時間後、彼女からの『あひる番目』の訪問を知らせる着信が。

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